あるがまま信仰 2010.7.4

 21日滝行も9日目。5時に起きたのだけど、油断してイスに座った瞬間、寝てしまいました。ああ・・・いい加減なオレ。結局、スタートが遅れて、近くの「不入道」に行ってきました。篠栗の「金剛の滝」に行きたかったのですが、ツレが朝市に行くのに車を使うと言うものだから。昼は家族で近所の図書館へ。児童コーナーでちびQが大はしゃぎ。私はスイングジャーナルの最新号を読むのですが、これで休刊(廃刊)。記念に買おうと思ってたけど、やっぱり買うまでもない。さようなら、スイングジャーナル。それ以外は「公式ブログ」をちょこちょこ更新。「日記」でなく「記事」として書くのは、また、別のチャンネルが必要になりますね。書評はコピペですが。

 ところで、今日も滝の中でいろいろヒラメキがあったのですが、いろいろありすぎて忘れちゃいました。と言うわけで、今思い付いた「あるがまま信仰」について書こうと思います。スピ系のブログや本には、本当に頻繁に「あるがまま」って言葉が出てきますが、実のところ「あるがまま」ってのが一番難しかったりしますよね。その辺の「理屈」を書いてみようと思います。

 率直に思うのは、どこまで「あるがまま」って言われたら気が済むんですか!ってこと。今朝、5時に起きてすぐに滝に行こうと思ってたけど、行けなかった。でも、もしここで「(早起きできない)あるがまま」でいい、、、と言われても、あまり嬉しくないです。やっぱり自己嫌悪に陥るし、反省もします。そして5時に起きて滝に行く快感を知っているだけに、一時的な気の緩みに負けてしまった自分を責めてしまいます。朝食のコーヒーも、なんか清々しくないです。

 でも、これって素直な反応だと思うんですよね。自分の理想の姿があって、それに向かって努力する。自分に負けてたり、努力が不足して、思い通りにいかなかったら反省して、次はもっとよくなろうと頑張る。それでいいと思うんです。そもそも論から言えば、本来の人間ってこうだと思うのです。

 例えば赤ちゃんを見ていて思いますが、本人は意識してなくても、あれほど向上心に満ちている存在もないのでは、、、と思います。目が覚めたらすぐに起きて遊び始める(ちびQ)。前は一所懸命寝返りをしたと思ったら、ハイハイし始める。つかまり立ちをする。そのうち歩きだす。そして絶対にくじけない。ご飯だって手づかみで一所懸命食べようとする。些細なことですが、私たちも同じ道を歩んできたんですね。

 ただ、成長につれて、いろんな体験をするにつれて「ブレーキ」をかけることを覚えてしまう。この「ブレーキ」の正体は「潜在意識の安心・安全メカニズム」なのです。つまり「潜在意識」は「安心・安全」を求めるがために、一度、危険や不快な目にあってしまえば、その「体験」を一般化して、同じような体験から自分を引き離そうとするんです。

 先日の東京セミナーで自動ドアがいまだに怖いって方がいましたが、これは幼少期に自動ドアに挟まれたことが原因で、「自動ドア=危険」という仮の情報を潜在意識がインプットしてしまったから。頭では自動ドアが安全だとわかっていても、身体が嫌がっている。その辺のプロセスを図化するとこうなります。
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b0002156_0214439.jpg いつもの図ですね。生まれた時は、「超意識」という根源的な存在があるのみで、それを魂と言ったり、本当の自分と言ったり、天命と言ったり、その人の特別な本能と言ったりします。本能と言う言葉を使うのなら、赤ちゃんが寝返りしたり、ハイハイしたり、歩いたり、手づかみでご飯を食べたりするのも、本能です。最初はとにかくやりたい放題。

 でも、その後の体験のプロセスで様々な「条件」が付与されるんですね。その「条件」を貯蔵しているところを「潜在意識」と呼んでいます。その「条件」は身体反応だったり記憶だったりしますが、いずれも「超意識(本来の自分)」を覆い隠すようにしています。しかし、「超意識」を覆い隠している「潜在意識」はあくまで善意でやっているのです。つまり「安心・安全」を守らんがために、必死になって自らにブレーキをかけているのです。

 ただ、このブレーキは決して悪いだけではありません。交通量の多い道路で怪我しないためには、そのようなブレーキが必要だから。しかし、しばしば子どもは交通量の道路が危険であることを知らないため、大人の監視が必要になるのです。ですので、潜在意識のブレーキはやっぱり私たちを守っているありがたい存在なのです。

 しかしながら、やり過ぎるのもまた潜在意識の特徴。おそらく安全であるはずの自働ドアに恐怖してしまうことは、日常生活ではあまりプラスにはなりませんから。そして「ブレーキ」をたくさんたくさんインプットしてしまった人は、「ダメな自分」という一般化された自画像を持つようになってしまうのです。それにより自分のことが大っ嫌いになって、時として、自分を傷つけたりします。

 そんな時、スピリチュアル系の本をよんで「あるがまま」なんて言葉に出会い、一時的に気が楽になり、そこでスピリチュアルジプシーが誕生するわけです。そしてそんな自分を認めてもらわんがために、占いやチャネリングに走ったり、似たような本やブログを読みあさろうとします。しかし、どれも一時的なものばかり。根本的に「あるがまま」でいることができない。そうやって疲れてしまうのも、スピリチュアルジプシーの特徴です。

 そこで今まで何度も書いたと思いますが、そんなジプシー状態から抜け出す方法が2つあり、一つが「感謝」です。これは単なる精神論ではなく、潜在意識を根底から癒やすためのメカニズムが感謝なのです。つまり必死で自分を守ってきた潜在意識に対して、敵意を持つのではなく、感謝する。ホ・オポノポノもその原理です。魔法なんかでは決してないし、青い水を飲んだところで、実は何にもなりません。とにかく自分を守り続けてきた「潜在意識」に向けて感謝を捧げる。

 潜在意識も生きものです。とにかく自分の身体に手を当てて「ありがとう」と言い続けることで、自分自身のダメなところがどんどん許せるようになり、それによって「あるがまま」が見えてくるのです。ジプシー状態から抜け出すもう一つの方法。それはやっぱり「努力」しかありません。いわゆる「なにくそ!」の精神です。

 私は世の成功者の自伝とかを読むのが好きなんですが、正直、誰もが例外なく「なにくそ!」の精神を持っています。矢沢永吉はもちろん、松下幸之助だって、稲森和雄だって、孫正義だって、みんな最初は「なにくそ!」の精神からスタートしています。今でこそ「利他」だの「感謝」だの言いますが、最初は皆、「なにくそ!」と努力しているのです。


 正直に告白しますが、私はコンプレックスの塊でした。そして今でも完全になくなったわけではありません。ここでさらに告白しますが、私は人知れず苦手な存在があります。それは「女性」です。こんなことを書くのは初めてかもしれませんが、これは本当の話。これを読んで、信じられないと感じるかもしれませんが、逆に「やっぱり」と思う人もいることでしょう。そして身近な人であればあるほど「やっぱり」と思うかも知れません。自分でもわかってるんです。

 例えば私はコミュニケーションがなんだの言ってますが、ナンパをしたことがありません。ま、27歳の頃、東区香椎の外人バーで酔っぱらって踊り狂っている時代があったのですが、その時は酒の勢いで声かけたりしたくらい。私の人生で最も「闇」だった時代です。コンプレックスを酒でごまかす。ですが、普通の状態ではそんなことは決してありませんでした。大学の時、こんなことがありました。友達と小倉で飲んだ時、その友達がいい時間になって「ナンパでもするか~」とか言いだしたのです。その時私は、酒が入っていたにも関わらず、「今はそんな気分じゃないな~」とかカッコつけて言いましたが、そもそもそんな勇気すらありませんから。

 この話は自分で書いてて辛くなるんですが、女性が苦手だったのには当然、原因があります。それは中学時代のことですが、、、これ以上は書くのはやめておきます。しゃべる分にはいいにしても、文章に残すはやっぱりイヤなので。今もちょっと苦手なとこはありますし。なので、気軽にナンパしたり、話しかけたりできる男のことを、今でも羨ましく思うことがあります。

 何が言いたいのかお分かりだと思います。つまり私も過去のある体験の中で「女性=苦手」というプログラムができてしまっているのです。それはもちろん年月を経るにつれて緩和されており、日常生活での支障はありませんが、苦手意思のピークはやっぱり中学時代でした。女子の多い部活はサボるし、3年間通してまともにしゃべった記憶すらありません。でも、それでいいとは決して思ってませんでした。その一件から、セルフイメージ自体がかなり低くなって、クラスで一番存在感のない奴とか、何一つ取り柄のない奴とか言われるようになります。

 そんな時、ある人物が現れます。寮生活をしていて同室になった同級生です。その彼はとにかく男前でモテル、スポーツ万能、勉強は私とどっこい。その彼にバカにされまくってて、でも、顔とスポーツでは決してかなわない。そこで初めて「なにくそ!」の精神が宿ったのです。とにかく勉強だけでも頑張ろうと、バカにされながらも生まれて初めて一所懸命に勉強しました。するとみるみる結果があらわれて、次の学期には上のクラスに上がれるほどになりました(当時は習熟度別のクラスだったのです)。

 でも、その時に頑張っておかげで、いろんなことが好転し始め、セルフイメージも高くなり、高校生活は本当に楽しいものになりました。女子ともしゃべれるようになり。ですので、今となってはあのバカにしてくれた彼には一番の感謝です。


 つまりですね、いろいろあるとは思うのですが、「あるがまま」なんて言葉に惑わされずに、本当の意味での「あるがまま」の自分と出会うために、やっぱり「感謝」と「努力」は大切だと思うのです。赤ちゃんは間違いなく「あるがまま」ですが、日々、自分を成長させようと一所懸命。その気持ちを思い出すんです。

 そのためには「潜在意識」のブレーキに対して「ありがとう」、、、それと同時にブレーキを突き抜けるための懸命な努力。それが言葉面だけの「あるがまま信仰」を突き抜け、本当の意味での「あるがまま」の自分に出会う要素だと思うんです。

 もちろん潜在意識も記憶も何もない「今ここ」の自分に立ちかえることこそが「あるがまま」に違いありません。これは言わば、「感謝」と「努力」に次ぐ3番目のアプローチであり、最も本質的な「あるがまま」に直結した姿だとは思います。しかしそれだけが「あるがまま」への道では決してなく、その前段階としての「感謝」と「努力」も決して蔑ろにしてはならないと強く思っています。とにかくやることやって、感謝も努力もやってみて、何かを突き抜けた瞬間に、本当の意味で「今ここ」以外にはないもない最もリアルな姿、つまり「あるがまま」を見ることができるわけです。

 ちなみに滝に打たれていると、結構、「あるがまま」ですよ。600回以上滝に打たれて、ようやくわかった世界。ですので、誰にでもはおススメできませんね。ただ、滝行(特に冬)も自分を突き抜けるために、機会あればやってみるといいかなとは思います。とにかく毎日滝に打たれられることが楽しくて仕方ないです。それも早朝。てなわけで、明日こそは五時にゴーです。ありがとうございました。

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Commented by at 2010-07-05 02:29 x
 ρ(*^-^*)ポチときました♪
[釦]
Commented by りえこ at 2010-07-05 07:32 x
あるがままって言葉が居心地よくて、あるがままに逃げようとしている時があります。

少々ハッタリを言いながら自分に負荷かけながら
自分をバージョンアップしていくようにしようって思いました。

理想とする自分に近づくためには努力必要ですね。
頑張ろうっと♪
Commented by kaorin at 2010-07-05 17:00 x
私もそう思います。

<努力>と<感謝>は、かなり重要なポイントですよね!!

でも、<あるがまま>も<努力>も定義が難しい。

<努力>って言うと、根性とか連想して、重たい感じがしますが、
むしろ、今より快適?な自分?になるように、やれることは、
やっとこう!みたいな…。
向上心とかポジティブ思考とか???
by katamich | 2010-07-04 23:39 | ■精神世界 | Comments(3)