宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

最後の審判 2010.6.2

 いつの間にか6月。今日も保育園に送ってから滝行。今日もまためちゃくちゃ気持ちよかったです。そう言えば先日、宇宙の始まる前の話をするって言いましたよね。いわゆるビッグバン以前の世界について。滝行をするとすぐにスピリチュアルモードに入ってしまうのですが、正直、めちゃくちゃわかりにくいと思いますが一応書きます。

3次元:y=x^3
2次元:y=x^2
1次元:y=x
0次元: ・ 

 これは何を意味するかと言うと、まず、私たちが生きている世界が「3次元:y=x^3」ですが、これはいいですよね。これをですね、ちょっとした瞑想する中で「微分」するんです。すると「2次元:y=x^2」となり、さらに微分すると「1次元:y=x」となります。3次元は立体、2次元は平面、一次元は位置(点)を意味します。

 何言ってるのかわかりにくいでしょうが、とにかく微分するんです。瞑想で抽象度を思いっきり上げて。そこからさらに0次元を微分してみました。それがビッグバンだったのです。ここで0次元とは「存在」であるのに対し、それを微分した世界は「存在しない世界」を意味します。この境目、つまり0次元とそれを微分した次元の瞬間がビッグバンだったのです。

 一般的に言われているのは、宇宙の始まりはビッグバンであり、それ以前は「無」であったと。ただ、私たちの頭で考えると「無」ってなんだいって。空間も時間も存在しない世界ってなんだいって。でも、私の中ではすっごい臨場感でそれが現れたわけです。いわゆる「微分瞑想」をすることで。まず「3次元」はすぐにわかりますよね。それを微分した2次元も1次元も0次元も実体はともかく「概念」としては理解できますよね。それからさらに微分すれば、それは「無」でしかないってこと。こんなのを言葉で表現するのは至難のわざですが、とにかく見えちゃったわけです。ビッグバン以前の世界が。

 そして言うまでもなく、その世界は今もあります。ここから137億光年離れたところに。光の速さで137億年のところ。つまり「宇宙の果て」と言われるところです。では、その向こうはどうなっているのか。それもまた「無」です。では、「無」を逆に「積分」するとどうなるでしょうか。これまた言うまでもなく、次元が増えていくわけです。

 0次元は点としての「存在」があるだけの世界。それを積分すると1次元となり、これは長さだけがある世界。つまり「距離」を言います。さらに積分すると2次元になり広がります。つまり「面積」。さらに積分すると3次元になり、私たちの住む世界になるわけです。

 ただ、0次元も1次元も2次元もすべて「概念」でしかないことはわかりますよね。となると3次元も単なる概念。実体としては存在しないのです。でも、私たちは現に存在してるじゃないか、と思うかもしれません。結論から言うと、それは「幻想」です。まいったか。

 そもそも考えてみると、137億光年向こうには、私たちの思考じゃどうにもならない世界があるんです。「無」という世界。ここで言う0次元を微分した世界が。私たちの世界、つまり3次元が存在すると言い張るのなら、宇宙の果てはどうなってるねん、説明しろ!って言いたくなります。それはあるにはあるけど、どこまで行っても「概念」に過ぎません。と言うことは、それ以外の次元も単なる「概念」と考えた方が自然なわけです。

 そう考えていくと、私は4次元にも5次元にも行けるってことがわかるでしょうか。何だか「オレハカミダ(俺は神だ)」みたいな言い方に聞こえるかもしれませんが、所詮はすべて抽象概念としての思考の遊び。でも、時間があって空間があってみたいなのも、所詮は概念に過ぎないんです。さらに言うと「いま」も「ここ」もない。それが最もリアルな現実なのでしょう。何度も言いますが、私たちの世界は所詮は「幻想」です。でも、幸か不幸か、私たちは「思考」を与えられた存在であるため、単なる「記憶」の集合体である「幻想」にリアルな臨場感を感じてしまっているのです。

 そして私たちはその「記憶」に苦しめられたり、喜んだりしているだけ。具体的に言うと、もしも将来に不安を感じているのなら、それは過去の「記憶」を将来に反映しているだけでしょう。逆に過去の記憶が喜ばしいものであれば、未来も喜ばしいものとして作ってしまうでしょ。だったら、自分の都合のよいように過去も未来も作れてしまうのが、私たちの特権であるのです。にも関わらず、私たちはなぜか「記憶」に支配されて、そこに一喜一憂しています。

 今からちょっと「悟り」について語ります。もう語らないとか言いながら、一貫性がないのも私の特徴。これからもガンガン語ります。許してください。「悟り」とは何か。一言で言うと「記憶」を消すことです。しかし本当に記憶が消えてしまえば、私たちは生活できません。ですので、もうちょっと譲歩して「悟り」を定義しますと、それは「記憶」に翻弄されない状態を言います。

 例えば犬が嫌いな人がいたとします。その人にとっては小さなチワワも恐怖の対象です。でも、どう考えても、チワワよりも強いはず。なぜそんなチワワに恐怖するのかと言うと、過去に「犬」に怖い思いをさせられたって「記憶」が残っているから。その一回の記憶が「犬は恐怖だ」という「幻想」を生み出し、それに支配されているだけなのです。

 貧乏な人がいたとします。それはどこかで「お金=人を不幸にする」という「記憶」を植え付けられたことが原因だと言えるのです。例えば両親が「お金持ちはケチだ、汚い」とか、「お金を持ちすぎるとロクなことがない」などと普段言ってるのを聞いて育ってきたとか。

 人前で話すのが苦手な人は、過去に「人前で話をして恥をかいた」という「記憶」を持ち続けているから。今、犬、お金、人前で話すってことを例にとりましたが、いずれも「今ここ」に焦点を合わせてみると、なんてことないことに気が付きます。

 犬は今、あなたに何の危害も加えていません。それどころか可愛いと言う人もいる。お金は今、あなたを不幸にも幸福にもしていません。使い方によって何か影響は起こりうるでしょうが、それでもお金自体は永遠に無色透明の価値を持つもの。あなたのお金に対する思いが何らかの現実を作っているだけ。人前で話すことにおいても、いざ人前に出てみると、確かに緊張はしているでしょうが、その時点では何の恥もかいていない。単純に前で話をしているあなたと、それを聞いてる人が存在するだけ。

 あらゆるものが本来は「無色透明」であるにも関わらず、私たちは「記憶」に支配されながら、自働的に世界を着色しているに過ぎないのです。もう一度言いますが、あらゆるものは本来「無色透明」なのです。つまり「悟り」とは、この世のすべてが本来は「無色透明」であるという事実に帰ることなのです。

 
 ところで今日、ちょっと面白い話を聞きました。法務局に印鑑証明をもらった帰り、尉川さんの事務所によってなんともなしに雑談している時。あえて名前は伏せますが、仮に脳機能学者のDr.Tさんと言う人がいます。伏せてないって??ま、いいけど。その人が尉川さんにコソッと言った話。これ書いていいのかわかりませんが、私も知ってることなのでいいとしましょう。

 実は人は臨終の際、すべての人が悟るのです。つまりこの世はすべて「無色透明」であったことを生後以来久しぶりに気づいちゃうのです。でも、その人はもう「この世」とはおさらばします。その人は死ぬ瞬間、宇宙の法則を知るのです。つまり「なにやってもいい」という真実を。

 先日の雲黒斎さんの講演の話とも重なるかもしれませんが、この世に生きている人間はまず次のように「宇宙」と対置しています。「宇宙」は「神」とも「アカシックレコード」と言われますが、何でもいいです。
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 しかし普段の私たちは「自分」と「宇宙」との間にパイプが通っており、その中が詰まっています。それを脳の図解で説明するとこうなります。
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 自分(自我)とは「大脳」であり、宇宙は「小脳」にあります。「小脳」はすべてのデータベースを保存しているから。しかし、私たちはまともに、常識的に、社会的に生きていく上で、小脳にあるデータを都合のよいように選別して大脳に送っています。それはあくまで「社会的」という上で。「お金は汚い」という情報も、社会的に選別された情報に過ぎません。

 しかし、死ぬ間際のこと。情報を選別している「視床」の働きが著しく弱まります。そう働きかけるのがドーパミンという脳内ホルモン。つまりドーパミンは小脳と大脳の情報の関所をぶち破る働きをするのですが、一説によると、死に間際に大量にドーパミンが出ているようです。
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 実際、トラックに跳ねられて地面に叩きつけられるまでの1~2秒の間にドーパミンが大量に分泌され、小脳にあるデータが瞬時に大量に大脳に送り込まれます。その時、それまでの人生を走馬灯のように思い出すのです。瞬時に。その時、先日も書いたと思いますが、過去に柔道をやっていた記憶が蘇り、とっさに受け身を取ったところ、打ちどころを悪くすることがなく一命を取り留めるなんてことがあるそうです。

 話を戻しますが、人は誰もが例外なく死にます。その瞬間、脳内から大量にドーパミンが分泌され、「宇宙」たる「小脳」からすべての情報が「大脳」に流れ込みます。すると自分の人生を一気に振り返ることができ、自分がいかに「記憶」に支配されて生きてきたのか、条件付けされて生きてきたのかを思い知るそうです。

 例えばその人は長年医者として活動してきました。なぜ医者になったかは、親がそうだったから。生まれ育つ中で、医者として生きるよう「記憶」から支配されてきたのです。でも、それは「本当の自分」が真に生きたい姿だったとは限りません。医者として生きることが当たり前と思って生きてきたけど、本当はそうじゃなかったんだ、、、と後悔することもあるそうです。すべては「無色透明」、ゆえに本来は自分の好きないように着色してよかったはずだ。でも、社会や周囲の環境によって、自分でも知らないうちに条件付けされ、言わば自分以外の人たちから自分の人生は着色されてきたんだ、、、と思い知ります。

 Dr.T氏の本など読むと、金や名誉の願望などお猿さんレベルだと言いきっていますが、その背景にはまさに「死ぬ瞬間の論理」があったのですね。だから自分らしく生きようよ、本当の自分を生きようよ、、、って話になるのです。昨日紹介した根本昌明さんのように。

 結局、人の人生とは「死ぬ瞬間」までわからないってこと。確かに「社会的」に見れば、60歳になって清掃員のバイトをしているオジサンよりも、会社の経営者、医者、弁護士、政治家など社会的地位の高い人の方が「成功者」だとみなされるでしょう。しかし、いざ「人間的」に見れば、生前、どこまで自分に素直に生きてきた、自分の好きなことをやってきたのか、それに尽きるのでしょう。

 その意味で言えば、仕事が清掃員であろうとも、自分の好きなことを悔いの残らないようやり尽くす人間の方が、よっぽど「成功者」だと言えるでしょう。人の一生は死ぬ時にわかる。誰もが死ぬ瞬間に「宇宙」と完全に一体化し、すべての情報を入手する。そこで自分の人生はどうだったかの審判が下される。どうせなら笑って死にたいじゃないですかね。

 そのために重要なのがまさに素直に今ここに一所懸命に生きること。やりたいことは全部やっていい。もちろんそのプロセスではやりたくないことをすることもあるでしょう。でも、やりたいことをやり尽くした後には、すべてがOK。って言うか、今この瞬間は常にOK。もしOKじゃないとすれば、それは「記憶」に支配されてるだけなんです。

 それにしても今日の日記はすげえな。微分瞑想に始まり、死後の世界まで。ところでドーパミンの出し方って話もしたいと思っていたのですが、また別の機会に。すっげえ怪しい話もあるんで、どうしようかと思っていたら、思わずミクシィにちょっとだけ書いちゃったよ。頭でイクって話ね。続きはブログがメルマガにて。今日も5千字超えちゃいました。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-06-02 23:39 | ■精神世界
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