生死の超越 2010.5.22

 今日は(も)何の話をしようかなあ。2004年5月に開始したこのブログ(当初は「宇宙となかよし」というタイトルではありませんでした)。今は5月なんで、すでに丸6年も経過。ブログ始めて7年目に突入しました。この調子で2014年4月いっぱいまで続けると10周年ってことになります。私は41歳。え~!って思いますが、20代の頃は30代が信じられなかったし、10代の頃は20代が信じられなかった。私の周りには50代、60代の方もたくさんいるので、41歳なんてまだ若い若い。普通に性欲もあると思います。

 まだ先の話ではありますが、ブログ10周年の暁には何かやりたいと思います。とりあえずは、講演会&パーティを全国各地でって感じかな。その頃、私は何をやっているでしょうか。今はセミナーや研修、講演、執筆が中心ですが、2005年に会社を辞めた時は、そんな概念さえない時代。なので、ひょっとしたら、現時点で概念さえないこと(少なくとも私の中では)をやっている可能性はあると思います。

 昨日の日記で「目標設定」のことを書きましたが、確かに「目標」は立てた方がいいです。その方が「方向」が定まるので行動の指針がつきやすい。でも、「目標」に向かって歩いていると、ある日突然、別の道が現れて、導かれるように進んで行くと、、、ってことがあります。その結果、当初の目標とは全く違うところに立っていることがよくあります。

 突拍子もなく会社を辞めたりなどすると、通過儀礼のようにマルチビジネスに誘われるのですが、今となっては私がそれをやっていることなど考えられません。ですが、短期間であれ関わっていたことは無駄ではなかったと思っています。いいこと悪いこと含めていろんな学びがあったのは事実ですから。

 そして今ではセミナーや講演で全国を周っています。おそらくその辺の動きはこれからも変わらないとは思いますが、本当のところ何をやっているのか現時点ではわからない。ですが、すべてはすでに決まっている、と思っています。そんなことを裏付けることが、これまでの行動の中にいくつもあるのです。

 例えば「人前で話をする」ことを続けるために必要なことは、話のネタ、疲れない声、話すのが好きであること、などありますが、そのような材料は意図せずしてこれまで集まってきました。話のネタについて言えば、まずはたまたま始めたこのブログがそうです。私がしゃべれるのは、基本的にブログに書いてきたから。プラス、話しながら出てくるものもあります。ではブログはなぜ書けるのか。毎日長文で。それは20歳前後にハマっていた哲学(現代思想)の影響が大きいと思います。特によく読んだのが現象学。そして今思うと、現象学は量子力学や原始仏教の考え方に極めて近いことを知ります。

 精神世界の思想的な側面ってのは、一言で言ってポストモダン(脱近代)です。強引に言うと、「近代」はアプリオリに客観世界(物理物理)が存在することを前提としています(※アプリオリ:演繹的証明の必要のない自明的な事柄)。つまり個々の認識に先だってこの世の中は存在するという考え方。それが近代(モダン)の定義です。それに対して、現象学にしても、精神世界にしても、量子力学にしても、いわゆるポストモダン的な文脈に括られる思想や科学は、アプリオリな客観世界の存在を疑うことから始まります。

 つまり目の前の世界も、それが最初からあるのではなく、私たちが認識するから「ある」のだと。ここでの認識のことを、「物理空間」に対して「情報空間」といいます。つまり私たちの世界は究極的にはすべて「情報空間」であり、その意味において私たちの認識は、すべて「物理空間」へと影響を与えるのです。

 「願望実現」のメカニズムもここにあります。「情報空間」に対して高いレベルでの臨場感を持つことができれば、それは「物理空間」へと結晶化します。例えば今、私たちは日常的に極めて高い精度でテレパシーを行っています。それはある時代のある人たちが「テレパシー」に対する高い臨場感を持っていたから。地球の裏側の人とリアルタイムで話したいな~という「願望」があり、それが前頭前野へと送り込まれ、しだいにその「情報空間」が結晶化します。その結果できたのが携帯電話です。飛行機も炊飯器も掃除機もロケットもパソコンも、今目の前にある「物理空間」はすべて「情報空間」の反映です。

 そして人間は前頭前野が発達しているおかげで、高い臨場感を伴う情報空間を作り出し、その結果、生活がどんどん便利になっていったのです。どんなに頑張っても猿に携帯電話を発明することはできません。それは前頭前野が発達していないから。
 
 そしてこの世はすべて「情報空間」であることを悟ったのがお釈迦様であり、その代表的な思想体系が「空(くう)」なのです。色即是空空即是色とは、この文脈で翻訳すると、「物理空間とはそもそもは情報空間の一部に過ぎず、同時に情報空間はあらゆる物理空間を作り出すのですよ」って意味。

 携帯電話の例で言えば、「携帯電話(色)ってのは、もともと誰かが考えたから(空)あるのであって、その考え(空)が結晶化することによって携帯電話(色)が作られたのですよ」となります。

 こう考えると、最初から「モノ」があるとする近代科学がいかに大雑把なものかわかるでしょう。これはもちろん携帯電話の発明云々の話に限らず、もっともっと深い意味での話。例えば「真空」って概念があると思いますが、私たちは永遠に「真空」を認識することができません。なぜなら真空を観察してしまうと、そこに素粒子が必ず生じてしまうから。詳しくは量子力学の簡単な解説書をご参照ください。で、この「素粒子」のことを仏教では「空」と言ったり、ここでは「情報空間」と言ったりしているだけです。

 話を戻しますと、こんな話がすんなりと受け入れられ、そしてそれをベースにしてブログを書いたり、セミナーをしたり出来るのも、20歳前後にハマっていた現象学が無関係ではないのです。あと、マイクも使わずにどんなに長時間しゃべっても喉が壊れないのは滝行の賜物です。話すのが好きになったのは高校時代の体験があったから。そんなことを一つ一つ紐解いて行くと、ちょっと前まで概念さえなかった「セミナー」ができるのも、実は最初から決まっていたとしか思えないのです。

 余談になりますが、尉川さんも私も、基本的には「すべては情報空間だ」と言う人です。表向きは。霊なんかもその人の中の情報空間に過ぎません。私も今の家に引っ越す前、何度か霊を見たことがあります。真夜中に起こされて、ふと見ると窓際に菅笠をかぶった3人の白装束がいたりして。その時は般若心経で追い払ったのですが、今思うと、それも私の情報空間の一部に過ぎません。

 と、いう前提を置きながらも、、、実のところはどうか。実は情報空間とは思えないこともあるのです。先ほど、「すべては決まっている」と言いましたが、実のところ「生年月日」「時間」「名前」だと客観的な情報だけで、その人が死ぬ日時までわかってしまうそうです。「~そうです」と言ったのは、私自身会ったことないし、当然、自分が死ぬ日も知りません。そして知ろうとも思いません。ただ、尉川さんは、そんな人に会って話をしたこともあるとか。深い人ですよ。

 つまり私の人生で起ったこと(シンクロニシティ)、そして人の運命をすべて知っている人がいるという事実(?)などを考えてみても、どうやら人の運命は決まっていると考えた方がよさそうに思うのです。ただ、その運命を知る知らないのも、まさに運命の中にあります。でもですね、、、こんなことってないでしょうか。

 いわゆるデジャブみたいな漠然としたものではなく、突然、目の前にすっごい臨場感をもって何かが現れる瞬間を感じたことがある人は。もはやそれは現実か架空の区別もつかないくらいに。でも時系列的に見れば「架空」だし、現にまだ起こってないことなんだから架空に決まっています。でも、あのリアリティはハンパなかったぞ、なんてことが。そしてその時に見たことが、数年経過して「実現」しているようなことが。

 実を言うと、私が大学時代、ある女の子の家庭教師をしていました。ある日突然、「石田さんは社長になるんですか?」と言われたことがあります。その時はそんなことないやろう、と答えたと思うのですが、15年くらい前のことであるにもかからず、その一言が今でも耳に残っています。そしていつしか、それは現実となるんじゃないかと思っている自分がいました。その結果どうなったか。数日後に株式会社が設立されますので、私は法的な意味においても「代表取締役社長」となります。

 それ以外にも「全国周ろうよ」とか。あ、また一つ思い出した。今から10年ほど前の話ですが、大学の友達の家に泊まったことがあったんですね。当然、ご家族の人ともお話します。その時、友達のお母さんから「石田さんは将来何になるんですか?」と聞かれました。わかりませんと答えたと思いますが、その時、「講演家とかどうですか」と言われたのを今でも覚えています。そしてそれがずっと耳に残り続けています。

 おそらくそれ以外にもいろんな人からいろんなことを言われたとは思うのですが、私の耳に残っていることはほとんど実現しています。それって何なんでしょうか。当然、「本の出版」も誰かから言われて、耳に残っていたからこそ実現しています。ただ、誰も「スマップの一員になりそうですね」とは言ってくれません。

 結局のところ、誰もが人生はすでに決まっているのでしょう。そしてその時々においては、いろんな人の口を借りて「運命」を聞くことになります。その中でも耳に残って、つまり、とりわけ高い臨場感を伴っている言葉ってのは、時が経つといつの間にか実現しているのです。それは私の努力で実現したのか、それとも最初から決まっていたのか。両方なんでしょうが、その努力さえも最初から決まっていた。そう考える方が妥当な気がします。

 なので何をやっても無駄。と同時に、何でもできる。何もしないのと、何でもするのと、どっちが楽しいか。私は何でもする方。どうせ最初から決まっているんだから、何やっても同じ。だったらできる限りやろうよ、と私は思うのです。

 人間の前頭前野を発達させたのは「死の恐怖」だと言った人がいました。死の恐怖をやわらげるために、人類は発展してきたのだと言えましょう。なぜ家を作ったのか。それは雨風をしのぐため。そんな原始的なことから、それこそ携帯電話やパソコンに至るまで、あらゆる発明の源には「死の恐怖からの回避」ってのがあると思います。しかし、「死の恐怖」は時として非常に不自然、不均衡な現実を作り出しています。

 例えば肉牛一頭を育てるのに、どのくらいの穀物を必要とするのか。おそらくその穀物で多くの飢餓が救われると言う人もいます。もちろん現時点で肉牛をバッシングするのは妥当ではないでしょうが、そのような説があるのも事実。この例から引き合いにすると、先進国の一部の「持てる人々」が自らの「死の恐怖」から逃れるために、後進国の「持たざる人々」の自由を奪ったという考え方も成り立ちます。環境破壊なども一例でしょう。

 つまり「死の恐怖」→「前頭前野の発達」→「文化・文明の発達」→「不自然・不均衡」という流れがあるとすれば、その大元の「死の恐怖」がなかったらどうなるのか。その「もし」を考えるのは困難ですが、ひょっとしたら違った形での人類の発展があったかもしれません。

 ですが、もしも人生は最初から決まっているのであれば、死を恐怖しようがしまいが同じこと。だったら死を恐怖しない生き方も成り立つわけです。そもそも人間は生まれた瞬間から死に向かって歩き始めます。つまり私たちは例外なく死に向かって生きているわけです。そんな矛盾を抱えた存在が人間であり、もしかしたらその矛盾こそが人間の「苦」の根本なのかもしれません。だとすればその「苦」を消滅させるには「生―死」という二元論から脱出することが重要となります。

 「生死」という一つの「系」から外に出てみる。すると何があるか。それを見た人がいる。その人たちのことを「目覚めた人(ブッダ)」と言うのかもしれません。では、どうすれば「生死の系」から出ることができるのか。それが大切なんですが、6月のセミナーでも扱うように、それもまた「ダブルバインドの超越」と密接に関係してきます。なぜなら私たちが避けられない究極のダブルバインドが「生と死」にあるのですから。人は「死」を避けようとします。しかし「生」きることは「死」へと近づくことでもあります。人は「生」を目的として「死」を避けようとするのに、「生」にまっとうすればするほど「死」が近寄ってくる。それが人間の「苦」の根本にあります。

 よく言われるように、なぜ「悟る」とあらゆる「苦」が消滅するのか。その答えは「悟り」とは「生と死」を超越することだから、です。話を最初に戻します。今年でこのブログも7年目に入りました。10周年は2014年ですが、9年目(Q年目)に何かが起こります。そう、2012年ですね。実はこの「宇宙となかよし」の一つのクライマックスもその年にあるのかもしれません。

 2012年12月。精神世界では何かが起こると言われていますが、フォトンベルトがないことは証明されたし、電気が使えなくなったり、特別な天変地異が起こったり、世界戦争が起こったりすることも、まずは考えなくてよさそうです。でも、あるとすれば、、、それがもしかしたら人類の目覚め(悟り)なのかもしれません。

 「死の恐怖」が「不自然・不均衡」を生み出したのだとすれば、「生死の超越」がもしかしたら「自然・均衡」を導くのかもしれません。そのスタートが2012年かどうかはともかく、そのような世界が訪れることを期待するばかりです。今日は濃かったかな。ありがとうございました。
 
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Commented at 2010-05-23 16:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kaorin at 2010-05-23 17:10 x
うん、うん…、今日は内容が濃かったです。
ありがとうございますデス。

>どうやら人の運命は決まっていると考えた方がよさそうに思うのです。

これ、そう思ってるんです。後になってみて、初めて、“あぁ、やっぱりそうだったのか…。”って、わかること、大きいの、小さいの、いろいろありましたもん…。

>どうせ最初から決まっているんだから、何やっても同じ。だったらできる限りやろうよ、と私は思うのです。

賛成で~す!!

>先進国の一部の「持てる人々」が自らの「死の恐怖」から逃れるために、後進国の「持たざる人々」の自由を奪ったという考え方も成り立ちます。環境破壊なども一例でしょう。

まったく、そのとおりだと思います。

素粒子世界でも、真空=無 ではないらしいですもんね…。
生成、消滅を絶えず繰り返している???こう書くと、なんだか仏教の教え?に近いのかな…?

<死の恐怖>は、なんらかの意図で、プログラミングされているような…。仕掛け???


Commented by kaorin at 2010-05-23 17:25 x
再コメ、ごめんなさい!!

量子論については、
PHP文庫 佐藤勝彦さん監修の 「量子論」を楽しむ本
がわかりやすかったです…。
by katamich | 2010-05-22 23:39 | ■精神世界 | Comments(3)