おしりが好き 2010.3.2

b0002156_1035697.gif 確定申告の締め切りが気になり始めた今日この頃です。実はここ最近、家族3人とも朝が遅くなる傾向がありました。ちびQが朝5時過ぎに一度起きるもんだから、それから寝るとどうしても遅くなるのです。でも今日から生活のリズムを元に戻そうと、7時過ぎには無理やり起こして、みんなで起きることにしました。私はそれから滝。

 そう言えば今日で11日目。折り返し地点ですが、なんだか最近は完全に生活の一部になっている感じです。もう春の気温で、先日の畑観音では、冬眠から覚めたカエルの声が聞こえてきました。そろそろ一斉に春のエネルギーを滝から頂ける季節。このために冬を越してきたと言っても過言ではありません。エクスタシーです。

 ただ、昨日のブログの最後の方で「お尻」のことを書いてしまったばっかりに、滝の中でも反射的に「お尻」のことを考えてしまいました。あ、もっと正確に言うと、「お尻」じゃなくて「おしり」です。発音は普通は「おしり」とノンアクセントで言うそうなんですが、私は「おシり」と「し」にアクセントをつけて言う癖があります。先日、ツレからそう指摘されました。関西アクセントなのかな。

 ついでに言うと、「蛇」は「へビ」と「び」にアクセント、「犬」は「イぬ」と「い」にアクセント、「むかで」は「むカで」と「か」にアクセント。普段は標準語とか博多弁モドキでしゃべってるつもりなんですが、個々の単語のアクセントはどうしても関西弁が取れませんね。ただ、大阪に帰ると、ほぼ100%関西弁になってしまいます。河内弁と言っていいかもしれませんが。

 それはさておき、、、今日も執筆作業。今年3冊は出せそうな気がします。まだまだネタはありますので。と言うか、日々、ネタが増えている感じなので、書く意欲がある限りはネタには困らないでしょう。このブログだって2004年からほぼ毎日(旅行中以外は毎日)書いてきて、それもかなりの分量なので、しばしば「よく書けますね~」って言われるのですが、これが普通。なんも無理してないです。

 ただ、私ってなぜかアレコレ言われやすいタイプで、これまでも「滝に打たれるな」「坐禅とかやめとけ」「謙虚に生きろ」「感謝しろ」「無理して毎日ブログ書くな」「しっかり働け」とか、いろいろ大きなお世話的なことを言われてきました。両親とか昔の友達とかは言わないのですが、ブログの読者さんとか、セミナーなどに来て頂いた方からよく言われます。なんででしょうかね。言いやすいのかな。

 それでまあ、もうこの話はいいと思ったのですが、例のブログ、、、って匿名にする必要もないのですが、まあ、コメント欄が荒れてました。私も思わず実名で書き込んじゃいましたが、「アマゾン祭り(キャンペーン)」ってそんなにアカンのかな?って素直に思います。先日も書いたのでもう繰り返しませんが、やっぱり「できること」はやっていいじゃないかってのが私の意見だしポリシー。もちろんそれが正しいとか間違ってるとかはないのですが、少なくとも他人のやることにそんなに口出しするのも滑稽に見えて仕方ないのです。

 他人のことを勝手に投影して「らしい」とか「らしくない」とか言って。例えば私は「戦略」と言う言葉をしばしば使いますが、「Qさんには似合わない」とか、よくわからない意見を頂くことがあります。先日も言ったように、「戦略」とか姑息なこと考えずに「宇宙に任せろ」みたいな感じに。

 「戦略」ってのは、人を騙すとか、陥れるとかそんな話じゃ決してないのです。3月20日に一緒にセミナーをさせて頂く栢野克己さんは「弱者の戦略」というコンセプトで、小企業が大企業に勝つにはどうすればいいのかってことを追求しています。大企業なんて世の中の3%で、残り97%は中小零細個人です。普通にやったら大企業に勝てるはずないのですが、それをどうやったら勝ち負けはともかく、成功できるのかって話。よりよく生きられるのかって話。そのためには「戦略」が大切ですよ、と言っているのです。

 同じように、私なんかも社会的には底辺の「弱者」に過ぎません。銀行も私にはお金を貸しませんし。もしも大企業に勤めていて、毎月給料があって、毎年ボーナスをもらえるような立場なら、「戦略」なんて考えずに、与えられた仕事を一生懸命にやるだけ。大企業の後ろ盾使って、銀行から金借りてアパート経営して不労所得だって可能です。でも、現状はそうじゃない。こんな底辺にいながらも、生きていかねばならないし、家族を支えなければならない。そのためにはどうすればいいかってこと。

 そこで私が出した結論が、まずは「自分らしく」ってことですが、これは人からどうこう言われることでもありません。自分が自分にフィットしているかどうか。その意味で、私が滝に打たれるのは、すごくフィットしているし、それと同時に、スピリチュアルからちょっと離れた経営戦略や個人ブランディングのような話にも興味があり、それはそれで違和感もありません。そしてお尻が好きでもいいじゃないですか。

 ま、私の場合は、会社を辞めた当初は極端なまでのスピリチュアルで、その頃は同じような関心がある人が集まってきましたが、途中から、これではいかんと思うようにはなりました。なぜかと言うと、スピリチュアルだけでは食っていけないから。滝に打たれて、ありがとうの連呼だけでは生活できません。なので、営業などコミュニケーションのスキルも高めなければならなし、生きていくために、いろいろ考えなければなりませんでした。

 ただ、それらは私にとって本当に自然なこと。スピリチュアルにのみ関心のある読者さんなどは、それこそ宇宙に任せて生きろ、なんて無責任なこと言いますが、それじゃダメなんですって。悟ったとか、覚醒したとか、そんな話はともかく、生きていくためには、それ相応のことを考え、実行に移さなきゃダメなんです。宝くじを当てるために引き寄せテクニックばかりやっててもダメ。

 結局のところ、本心にあるのは、自分の願いみたいなのを他人に投影しているだけなんでしょう。「ありのまま」を「何もしない」という意味に勝手に解釈して、このスピ系のブロガーさんだけは、何もしないで生きていって欲しいみたいな感じで。

 「ありのまま」ってのは「何もしない」では決してなく、「何やってもいい」ってのが真の意味するところです。あえて理屈を言いましょうか。人間にとっても最も「ありのまま」が生まれたばかりの姿です。しかし、成長とともにいろんな経験をして、そのプロセスで様々な「条件付け」をされてしまいます。

 大舞台での失敗経験があると、その時に得た失敗の不快な感覚を二度と繰り返さないために、「潜在意識」ってやつが、それ以降の行動にブレーキをかけてしまいます。それが潜在意識にプログラミングされた条件付け。本当は誰だって恥や恐れを手放して、いろんなことにチャレンジしていきたいのです。でも、過去の失敗体験(感覚)が、そのチャレンジにブレーキをかけてしまいます。

 じゃあ、ブレーキに縛られた恥や恐れだらけの臆病なその人って、それが「ありのまま」ですかってこと。臆病になって何もしないのが「ありのまま」ですか。違うんです。「ありのまま」ってのは、まさに「本当の自分」を生きること。一度や二度の体験によって植え付けられた恥や恐れに縛られるのではなく、それを手放し、本当に自分のやりたいことをやりたいようにやること。これが「ありのまま」なのです。

 「やりたいこと」をやる。これってすごく幸せなこと。誰もが「やりたいこと」を持っているでしょう。でもできない。なぜか。過去の経験体験によって受け付けられた恥や恐れといった「記憶」に縛られているからできないのです。本当はやりたくてたまらないのに、「記憶」なんて幻想に縛られていて、全然、いまここを生きていない。それが「ありのまま」ですか。もう一度言いますが、「ありのまま」とは「何もしない」ではありません。「何やってもいい」が「ありのまま」です。

 だから例えば、誰かが本を出して、アマゾンキャンペーンやったっていいじゃないですか。私もしましたけど。キャンペーンやっても、誰もが上位に行くとは限りません。でも、それやって上位に行って、銀座の一等地に広告を出す以上の効果がある「アマゾンランキングの一ページ目」に出てくるのなら、やらなきゃ損でしょ。出版社のためとか、そんなこと以前に。

 ま、それはともかく、何やってもいいのです。やっちゃいけないことなんてありません。もちろん人を傷つけるなど「不自然」なことはやっちゃダメ。そもそもそんなことやりたくない。でも、自分が「やりたいな~」と思ったら迷わずやっていい。できるならやるべき。それはすべてにおいてそう。

 会社を辞めて自分の好きな仕事をしたい。ヨーロッパにお菓子作りの修業に行きたい。カウンセラーの資格を取って悩める人を救いたい。バックパッカーで世界を放浪したい。自転車で日本一周したい。医学部に入りなおして、お医者さんになって貢献したい。弁護士になって弱い立場の人を救いたい。いろんな夢があり、やりたいことを持っている人も多いと思います。

 そして「やりたい」という思いが純粋であれば、それは必ず実現します。必ず。とりあえず私は今のところ、それを証明し続けています。私は今、やりたいことしかやっていません。もちろん確定申告とか面倒なことはありますが、私の生活を支えているのはすべて「やりたいこと」です。すっごく幸せです。ほんと「ありのまま」で生きています。

 だからかわかりませんが、私は人が何やっても「いいね~」って思ってしまいます。もちろん人間として不自然なことはダメ。人殺しとか窃盗とか。やりたいこと、やれること、どんどんやっていいじゃないですか。それが戦略だろうと何だろうと。

 余計なひと言かもしれませんが、本当に自分が「やりたいこと」をやっているのなら、人が何やっても応援できるはず。それができてないものだから、他の人にもやって欲しくない。だって寂しいから。姑息だの、不遜だの、感謝が足りないだの、らしくないだの、そんなのは人から言われることじゃなく、自分で気づくこと。もしも私に感謝がなければ、絶対に足をすくわれます。その時にわかればいいじゃないですか。

 でもまずは人のやってることにとやかく言わずに、あなたが本当に「やりたいこと」に全力を尽くしたらどうでしょうか。そしてもしも余力があれば、人の足をひっぱるのではなく、応援してあげたらどうでしょうか。人を応援したら、今度は自分が「やりたいこと」をやる際に、必ず応援してもらえます。

 忍者ごっこと同じで、まずは自分から肩を貸して、相手に登ってもらう。そしたら、登った相手は必ず手を差し伸べて上から引っ張ってくれます。それを、一生懸命に壁を登ろうとしている相手の足を引っ張るばかりなんて、ちょっと寂しすぎます。「やれやれ~!」と肩を貸してあげたらいいじゃないですか。私はそう思うし、これからもそうやっていきたいと思っています。

 ま、黒斎さんとは、これまでそんなにカラミがあったわけじゃないのですが、歳も同じだし、同じようなことを考えているし、そして会社を辞めて自分の「やりたいこと」をやる決意をされたことに対して、何だかすごく嬉しくなった自分がいました。

 とにかくみんなが「やりたいこと」をやれる世の中、それを応援し合える世の中って素敵やな~って思うのです。その方が楽しいし、みんな幸せやないですか。ま、いい加減、この話もしつこいかもしれませんが、要するに、みんあ「やりたいことやろ~ぜ!」って言いたいのです。

 こんなこと言うと、私は歳だから、身体が弱いから、ブサイクだから、だから、だから、だからで「やりたいこと」のできない材料を必死にアピールしようとする人いますが、結論から言うと、それって「ありのまま」の自分から出たことじゃないです。私は今からスマップには入れません。そして入りたいとも思いません。なぜならそれは「私」じゃないから。違和感あるから。
 
 よく言われるように「美味しいものを食べる」と「美味しく食べる」は似ているようで違います。前者はどこかに美味しいものがなければ満足しないのですが、後者は何を食べても美味しいのですから常に満足。同じように、今の自分のできる範囲内で、やりたいことをやりたいようにやることが、本当の幸せであり「自由」ってやつです。いつも外側ばかりを見て「~だからできない」と言い訳ばかりするのは、全然、自由じゃないでしょ。いつまでたっても「やりたいこと」できないですよ。
 
 と言うわけで、なぜか熱くなってしまいましたが、ようするに私は「おしり」が好きってことを言いたいだけなのです。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-03-02 23:39 | ■精神世界