あの恐ろしい本から・・ 2010.1.23

今日は久々に福岡コーチ協会の勉強会に行ってきました。一年ぶりかな。今日はテーマを気にせず、とりあえず顔出しのつもりで行ったのですが、今日は「片づけ」がテーマでした。コーチングでも「片づけ」がテーマになることは珍しくありません。散らかっている部屋だと、何をするにおいても能率よくありませんからね。ただ、その題材が案の定、カレン・キングストンさんの「スペース・クリアリング」でした。「ガラクタ捨てれば自分が見える」という文庫本でお馴染みですよね。


この本はだいぶ昔に一度読んで、最初の20ページを読んだ時点からいきなり掃除がしたくなって、大きなゴミ袋が7つ出たことがあります。読んですぐに動きたくなる本と言えば、あれ以上のものに出会ったことがありません。500円程度の本であそこまでの即効性があるわけですから、ベストセラーになって当然。多くの人が大絶賛しています。あの本を読むだけで、本当に部屋がきれいになるのです。冗談抜きに。


ただ、今となっては、、、必ずしもあの本を手放しに勧めることはしていません。あれを読んだのが2005年のこと。ちょうど会社を辞めたばかりの頃でした。あれから6年、私もいろんな勉強をしてきましたし、本の読み方も変わってきました。その上で言うと、あの本はよく言えば確かに即効性があり、動きたくなります。しかし、別の側面から見ると、極めて洗脳的(催眠的)な仕掛けが施されてあって、いわゆるリテラシーのない人が読むと、時として危険ではないかと考えるのです。


本の趣旨を一言で言うと、「ガラクタにはネガティブなエネルギーが溜まっているからすぐに捨てるべき。ガラクタを捨てるとポジティブなエネルギーが入ってくるので幸せになれる」というもの。なるほど、とは思います。ただ、今日のセミナーでもそうだったのですが、やたらめったら「エネルギー」という言葉が使われます。NLPに詳しい人はわかると思いますが、これは普通にエリクソン催眠の技法(名詞化)にあり、要するに「エネルギー」などという漠然とした言葉で、人の思考を支配してしまうのです。で、セミナーではペアのワークがあって、メタモデル的に「エネルギーって何ですか?」と当然聞くのですが、明確な答えは出てきません。


ま、そんな理屈はともかく、片づけられればいいと思えばそれはそれでいいです。しかし、さっきも言ったように、中にはこの本に「依存」してしまう人がいる。これが困りものなのです。だから手放しにおススメできない。つまり「ガラクタさえ捨てれば幸せになれる(お金持ちになれる)」などと一般化・単純化してしまい、焦点が部屋のものを捨てることに集中してしまうのです。


いかがでしょうか。今までの話を聞かなかったことにして、「ガラクタには負のエネルギーが溜まっている」→「部屋にはガラクタが思っている以上に多い」→「それらのガラクタを捨てるだけで人生が変わる」と聞かされれば、大半の人は同意するのではないでしょうか。


ここで重要な点が二つ。一つは「ガラクタとは何か?」で、もう一つが「ガラクタを捨てるだけで本当に幸せになれるのか?」という点です。今日のグループでの話にも出たのですが(と言うか私が出した)、例えば子どもが作った工作なんかは、そのまま見れば明らかにガラクタでしょう。しかし、その作品(ガラクタ)は、子どもがおばあちゃんのために一生懸命に作ったもの。それを勝手な判断で捨ててしまえと言うのは、あまりにも悲しいのではと思うのです。ちなみに私が小学校3年生の頃に書いた犬の絵が、いまだに実家に飾ってありますが、あれは私の亡きおばあちゃんが、生前、私のことを思い浮かべるために部屋に飾っていたそうです。


しかし、そのようなものも、当事者でなければ単なるガラクタ。極端な話かもしれませんが、スペース・クリアリングを突き詰めると、そのようなものまで捨ててしまうことになるのです。そしていざ捨て始めるとアドレナリンが出てくるので、際限なく捨ててしまい、まだないか、まだないかと探しまくってしまいます。まるで催眠にかかったかのように。その結果、昔もらったラブレターなんかはまだしも、学生時代の卒業アルバムから、幼少期のスナップ写真まで、あらゆるものを捨てる対象にしてしまうのです。つまり、あの本を読んで一種のトランス状態に入ってしまうと、本来、とても大切なはずのものまでガラクタと思うになり、捨ててしまって後の祭り、、、となるケースが少なくないのです。


余談ですが、今日のセミナーの講師は、たくさんあった本を10冊だけ残してすべて捨てたと言っておられました。それはそれで一貫性があるように思いますが、正直、たった10冊の本しか持ってなくてセミナー講師とかまともにできませんし、ましてや将来自分でも本を書こうと思ったときに、それでは明らかに不十分です。その割には、セミナールームには空席のイスが2~3残されたままで、それを撤去しない方がよほど場のエネルギーに影響するもの。つまり、悪気はまったくないのでしょうが、ひたすら「捨てる」ことに意識が向いてしまって、本当に重要なことが見えなくなっているのです。何が必要で、何が不必要か。その辺の人間的な営みを軽視して、ひたすら「捨てる」ことに単純化する。本末転倒です。


それからもう一つの点である、「ガラクタを捨てるだけで本当に幸せになれるのか?」について。実はこちらの方が重要です。本のタイトルに「ガラクタ捨てれば自分が見える」とありますが、内容的には「幸せになれる」とか「収入が入る」といったこと。「マイナスのエネルギー」を捨てることで「プラスのエネルギー」が入ってくる。すべてこの図式で単純化しているので、ガラクタを捨てることで本当に「幸せ」や「収入」が入ってくると思ってしまうのです。


しかし、言うまでもなく、この考え方は科学でもなんでもなく一種のオカルトです。ブラシーボ効果や、思い込みによって、いい効果がもたらされる可能性は否定しませんが、本当のことを言えば、部屋にモノが少ないことと、幸せや収入とは何の関係もありません。もちろん部屋がきれいになると気持ちの良い空間ができ、スッキリして仕事がはかどることはあるでしょう。ですが、重要なのは、部屋を片付けるだけでなく、その上でしっかりと「仕事をする」ことなのです。


ここで「エネルギー」なる漠然とした言葉を出すものだから、単に捨てるだけで、いいエネルギー(お金など)が得られると催眠にかかってしまう。人は一般的に、新たに何かをすることは大変ですが、それと比べて、今やっていることを辞めたり捨てたりすることは、さほど大変ではないと思いがち。要するに捨てる方が実際の行動より楽なわけですから、どうしてもそっちに走ってしまうのです。ただ、言うまでもなく、「捨てる」ことと「行動する」ことは車の両輪で、どちらも大切。しかし、捨てるだけでプラスのエネルギーが入ってくるとか、自然と行動できるようになると考えることはできません。行動にはそのためのエネルギーが必要ですから。


このスペース・クリアリングという考え方は、スピリチュアル系の一つの系譜で、それが浄化ワークやホ・オポノポノにもつながっていきます。つまり「潜在意識」に条件付けされたネガティブなプログラムを「ガラクタ」と見立てて、それを捨てようという発想につながるのです。先ほど「アルバムを捨てる」という例を出しましたが、それはまさに「潜在意識」に刷り込まれた「過去」を捨てることへのアナロジーとなっています。


通常、「潜在意識」へのプログラミングが最も顕著に行われるのが0歳から14歳くらいまでと言われています。その間に、例えば否定的・破壊的な体験をしていたら、それが潜在意識に刷り込まれ、その後もずっとその影響を受けて過ごすことになります。例えば0歳で抱っこから誤って落とされた場合、その人は「高いところ=怖い」と条件づけされて、高所恐怖症として過ごすことになるのです。


「浄化ワーク」においては、その抱っこから落とされた体験で得た「感覚」そのものをクレンジングすることで、高所恐怖症が治ることになります。それ以外にも人との接し方が苦手という人も、幼少期からそのような体験を繰り返したことによって条件づけされたので、その条件をクレンジング(浄化)することで、人との接し方が得意になります。貧乏な人も同様、多くの場合、潜在意識にある条件付けによってそのような現実が作られています。だからそれをクレンジングする。その辺はあの「実現くん」のブログや、都留晃一さんが何度も言っていること。


しかし、ここでも問題が二つあって、一つ目が「クレンジングの方法」で、二つ目が「クレンジングの限度」です。まず方法としては、NLPも含む心理療法から、中には前世療法などもスピリチュアルな領域まであります。一番簡単なのがホ・オポノポノです。しかし、どの方法を用いたとしても、一度や二度で完全にクレンジングすることはできません。ですので、例えばホ・オポノポノに出会って救われた気持ちで実践していても、なかなか思ったような効果が出ないため、次に新しいのが来ると(例:キン・ベマーン)、すぐにそれに飛びついて、結局、中途半端なままにクレンジングが終わってしまうのです。


もう一つの問題は限度の話。正直、クレンジングってどこまでやればいいのか先が見えません。バナナの皮ならむけばいいのですが、潜在意識ってのは目に見えないゆえになかなかクレンジングの実感をつかめません。仮につかんだと思っても、翌日にはまた元に戻っています。それもまた潜在意識の性質ですから。その結果、やってもやってもキリがなくって、気が付けばとんでもない事態に陥っていることもあります。具体的には書きませんが。ですので、先日も言ったように、クレンジングそれ自体は否定しいまでも、どこかで「クレンジングしなければならないという観念自体」をクレンジングする必要があるわけです。


「潜在意識」ってのは、本当のやっかいです。なんせ生まれて間もない言語習得以前からプログラミングされているわけですから。赤ちゃんはなんでも知っていると言われます。ちょっとした夫婦喧嘩なども、ちゃんと聞いていて、それもまたプログラミングされているのです。赤ちゃんに否定的な言葉をかけると、それがそのままセルフイメージに直結してしまうので、私も、ちびQに対しては徹底してプラスの言葉がけ。それが親のつとめだと思っていますので。


ですが、そのような意識のない親から「ブサイクだな~」なんて言われて育った子どもは、間違いなく「ブサイク」というセルフイメージを持ち続け、大人になって異性と接するのが苦手になったりするのです。繰り返しになりますが、「ブサイクだな~」と言われた経験自体をクレンジングすることで、現在の「異性に対する苦手意識」が消えうせます。では、どうやってクレンジングできるのか。ぜひ、私の本の終盤を読んで頂きたいのですが、一言で言うと、「ブサイクだな~」という言葉、そしてそれを受けた「潜在意識」の意図を知り、そこに感謝すること。


と言う感じで、クレンジングにはいろんな方法があり、それもまた延々と続くものも多いです。それが現実。しかし、、、と言っておきますが、実を言うと「変化」するときは一瞬です。しかも、通常ですと「潜在意識」における変化はすぐに元に戻ってしまうのですが、永遠に戻らない「変化」を一瞬のうちに体験することがあります。私は体験しましたし、例えばNLPの山崎啓支さんもその瞬間について著書で書いています。


その永遠なる「変化」とは、本当に一瞬のこと。クレンジングも不必要とまでは言わないまでも、いや、やっぱり不必要かも。今となってはそう思います。では、その「一瞬」とは何なのか。それはまさに「本当の自分」を知ること。別の言い方をすれば「悟り」とか「目覚め」になるのですが、「禅」における基本にして最も重要なこともまた「本当の自分(本来の面目)」を知ることに充てられます。そして「禅」の悟りの目指すところは釈迦の悟りであることを考えると、釈迦がクレンジングをしていたという事実はどこにも確認できません。


では、釈迦のように苦行をして瞑想をしなければならないのかというと、それもまたそうとは限りません。では、本当にどうすればいいのか。それこそが、私が本当に伝えたいメッセージなのですが、どうやって伝えましょか。とにかく、本当に重要なのはそこ。「本当の自分」につながること。自分らしく生きること。今この瞬間に没頭して生きること。世間や過去の評価基準ではなく、自分自身の軸にしたがって生きること。そして自分が大好きで、すべてに感謝して生きること。もっともっと言えると思いますが、よかったら私の肉声を聞きに来て頂けると嬉しく思います。ありがとうございました。

by katamich | 2010-01-23 23:39 | ■精神世界