宇宙となかよし

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新たな道 2010.1.11

 1月9日から11日までの3日間の禅合宿に行ってきました。年末に滝仲間から誘われたのですが、その人は元々不親切でもあり、よくわからないままに参加してきました。その人は昨年、「見性」し老師より道号(戒名?)を頂いたとのこと。とにかく誘われたので行くことにします、、、ってのが正直なところ。

 初日は「入山」から。道場に入ってちょっとした手続き(名前を書く程度)。すぐに作務(掃除など)に入り、夕方から参禅が始まります。正直、今の段階では専門用語だとか段取りのことがよくわかってないので、私の理解の範囲で書きたいと思います。なので言葉は正確でないことご了承ください。

 まず正座で待ちます。すると「老師」と呼ばれる偉い方が登場。実は最初から最後まで正式なお名前がわからず、単に「老師」としか呼ぶほかありません。それからいろいろお経みたいなのを唱えたりして、坐禅に入ります。その後、初めての人だけ呼ばれて作法などを習います。「参禅」ってのは、老師から「公案」をもらうこと。「公案」ってのは、悟りに至るまで、それを判断するための問答と言えるのでしょうか。いわゆる禅問答ですね。そこで最初の「公案」を頂き、それに答えるためにひたすら座禅を組みます。「公案」の内容はここで書くわけにはいきませんのであしからず。初日はここでいったん帰宅します。

 2日目は午後から参加。午前は滝行。そして道場に着くや否や、すぐに作務に参加。夕方は静坐(坐禅)から参禅に入ります。参禅では、一人ひとり順番が来たら老師の元に行き、公案を答えます。そしてダメだしを頂きます。結局、私は今回の合宿中、5回の参禅に挑んだのですが、すべてすぐにダメだし。なぜダメだしされるかはわかります。私はどうしても「頭」で考えようとするからです。正直、私は今までブログも書いてきたし、本まで出させてもらいました。もちろん読書もそれなりにしてきたと思います。考える力も、並みにはあるのではと過信しています。

 でも、そんな蓄積などは、老師の公案の前には何の役に立ちません。老師の前で何か言うと、すぐに首を振られ「次」の合図の鐘を鳴らされます。「頭のてっぺんからつま先まで○○なりきれ!」と言われ、追い返されます。それも毎回。とにかく「考える」というプロセスがまったく役に立たない。そのことだけは今回の合宿で納得したと思います。

 食事について。食事がまた、、、結構きつい世界。ずっと正座で無言で食べるのですが、一汁一菜どころか玄米ご飯に味噌汁と漬物のみ。それが3食。「これはダイエットにいい」などと思う私がいたわけですが、皆さん、恐ろしく早食いなので、ご飯のおかわりをする暇もありません。する人はしていましたが。夕食後は老師の話を聞いて、それからまた坐禅と参禅。そして10時過ぎに就寝。大部屋にぎっしりと布団を敷いて。
 
 3日目は5時に起床。すぐに布団をたたみ、急いでお掃除。間もなく坐禅と参禅。またもダメだし。お茶のお相伴の後、朝食。それから作務に入り、昼前にまた坐禅と参禅。ダメだし。昼食後は作務。そして今回最後の坐禅と参禅。やっぱりダメだし。最後にお茶で終了と、こんな感じでした。

 いや~それにしても、、、何とも言葉で言い表せない世界です。坐禅は基本的に結跏趺坐で行いました。参禅前の坐禅は一時間程度行うのですが、とにかく足が痛い痛い。もう意地になって痛いのを我慢していたので、悟るどころの話じゃありません。でもですね、、、ふとした瞬間、痛さがなくなり気持ち良くなる時もあるのです。今思うと、それは痛みを和らげるために脳からドーパミンが出てたのかな、と思うのですが、それもつかの間、すぐにまた痛くなります。ひたすら呼吸に意識を向けて集中するのですが、私ってとことん雑念の王者で、ぐちゃぐちゃ考えてるんですね。でも、考えてる間ってのは足が痛く、逆に集中してる時は足の痛さがなくなります。不思議な感覚。

 そんで終了の鐘が鳴るのですが、内心、ヤッターとか思ってる不届きものです。その直後に参禅が始まるのですが、麻痺した足を引きずりながら老師の部屋に行きます。そこで作法をして老師の公案に向かうのですが、さっきも言ったように、今回はことごとくダメだし。問答の内容を書けないのが残念ですが。

 とにかく凄い体験でした。一つだけ問題点をあげるとすれば、それは「楽しくない」こと(爆)。とにかく楽しくないのです。道場の中ではほとんど私語もしませんし、ひたすら座って足を痛めるだけ。座っている間は背筋が伸びていますので、普段、変な姿勢で過ごしていることがすぐにわかります。身体がところどころ痛くなりますので。そして朝は早いし、飯もさほど美味くもなく少なく堅苦しい。一般に言う「楽しい」とはかけ離れた世界です。しかし、それでもなお言えるのは、素晴らしい体験だったと言うこと。この3日間の濃密だったこと。

 そして次なる目標ができました。それは「見性(けんしょう)」すること。よく悟っただの見性だの言う人がいますが、それはウソとは言わないまでも、そこに客観的な何かがあれば、それに頼ってみるのもいいかもしれません。それは老師からの「公案」によってわかる世界。本当に「見性」したかどうか、老師との禅問答によってわかるのです。ちなみに私が参加した会は、白隠禅師から続く正当の禅師(老師)による禅の会なので、よくわからない新興宗教の怪しさはありません。しかも在家の一般人(居士)を対象とした会なので、サラリーマンでも無理なく続けられるスタイル。しかし、やっていることは本物でした。

 今年からなぜか「禅」の世界に導かれてやってきたわけですが、そう言えば阿部敏郎さんも本格的な「禅」から入った人だし、昨年、阿部さんと出会ったのも必然的な流れだったんでしょうね。で、今回の参禅会を後にして、私はいったん滝の道具を取りに家に帰ります。外は真っ暗ですが、7日滝行の3日目の滝に行きます。いつもの不入道で。

 昨晩はほとんど眠れず、それに疲れも加わってしんどかったのですが、お堂でお経を唱えてから、滝着に着替えて滝の前に。作法に入ってから滝に入ります。気温は6度。その瞬間、なぜか「仏」という言葉が出てきました。仏になりきる。そっか、自分の中にある「仏」、これを「仏性」と呼ぶこともあるのでしょうが、自らの「仏性」に気がつく、仏と一体化することが大切なのかな、、、とふと浮かんできました。これが老師からの「公案」にどのように関与するかわかりませんが、少なくとも、私にとっては改めて浮かんだ新鮮な気づきでした。

 じゃあ、仏って何?言葉にはできませんが、とにかく「仏」になりきる体験ができればなあ、と感じたのであります。そして今日の滝は本当に気持ちがよかったです。「仏」になりきることで、あらゆる苦しみから解放される。少なくとも、今日の滝は今までで一番と言っていいくらいに気持ちの良いものでした。滝の冷たさ、痛さにさえも感謝できる。それが瞬時であろうとも、そんな「体験」が今日の滝行にはありました。

 とにかくも今回、世にも不親切な方から「禅」への導きを頂いたわけですが、これからも続けると思います。もちろん滝行も。私にはまだまだ知らない世界がたくさんあります。そして知るべき世界がたくさん残されています。その中でも究極の世界。その道への扉が開かれたような気がします。ありがとうございました。

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by katamich | 2010-01-11 23:39 | ■精神世界
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