世の中の仕組みです 2009.8.28

 今日で21滝行も21日目。今年の目標として「行」を100日(14週間)することを掲げていました。うち、9週間が終了です。残りは12月に21日間(3週間)、それ以外に7日間を2回やれば達成です。できそうですね。あと宝満山に月3回登るのについては、今月はあと1回。31日にでも登りたいと思います。

 ところで、なぜに私は滝に打たれたり山に登ったりしているのでしょうか。理由はいろいろあると思いますが、正直に言うと、日常生活から一時的に逃げるためです。こないだも言ったように、修行のための修行などする必要ありません。そもそも地球人ってのは修行しにやってきてるようなものですから、日常生活がすなわち「修行」なのです。その意味で言えば、私にとっては滝に打たれることよりも、サラリーマン時代の方がよっぽど修行でした。特に退職3か月前などは、レンガを積んだ側から壊さるような仕事で週4日の徹夜。それも完全なサービス残業です。それに比べると、氷点下の滝に打たれることなんか温泉です。

 そしてフリーランスになった今、その辺の修行から解放されたかと言うと、実は全然されていません。フリーランスは生活の保障がないと言う修行があります。サラリーマン時代は決められた仕事を文句言いながらでもこなせば、それで生活はできていました。しかし今は、誰も仕事を与えてくれません。次から次へと自分で作っていくしかないのです。私はしばしば羨ましがられます。自分の好きなことをやって生活していることに。しかし、これって本当は変な話で、羨ましいなら同じことすればいいだけ。会社辞めて自由にやればいいじゃないですか。でも、そうなると生活していくためのもっと大きな修行が課されます。だったらサラリーマンのままでいい。まったくその通りです。

 ですので、私の場合は実は24時間365日修行しているようなものですが、その中でしばし修行を忘れる瞬間があります。それが私にとっての滝行や山登り。それらはつまり修行から逃げるための修行なのです。私は弱い人間ですから。ただ、それでもきちんとやっていれば、いろんな気づきがありますし、日常の修行を乗り越えるパワーを頂けるのも事実。


 そんな中で今日は私が「体験」を通して気づいたことを書きたいと思います。その一つの「体験」としては、2005年5月の3週間のインド旅行があります。会社を辞めた直後で、まさに日常生活から逃げるようにインドに旅立ちました。その辺のことはe-BOOK「宇宙となかよし」にも書いていますが、今日はもうちょっとつっこんで書きたいと思います。端折って言えば、デリーに着いた初日の夜、安宿街に向かって歩いていたら突然暴漢に襲われ、そばに着いてきていたタクシーに逃げるように乗り込んだところ、悪徳旅行会社に連れていかれ、そこで所持金のほとんどを奪われます。

 カードがあると思って、気分の悪いデリーから逃げるようにラダックへ飛んだのですが、その時、カードの残高は5,000円程度。それで辺境の地とも言えるラダックで一週間過ごさなければならなくなったのです。一泊450円の宿を見つけて何とか寒い夜を凌ぐことはできるのですが、食費や交通費は大幅に抑える必要があります。つまり動けないのです。することがなくて思いついたのが、丘の上で「般若心経」を1,000巻唱えること。それくらいしか暇つぶしがなかったのです。一日200巻を3時間程度で唱えて5日目のこと。800巻過ぎた辺り、突然、滝のように涙が出てきたのです。そして目の前に電光掲示板のように「感謝」の文字が浮かび上がり、そこから私の世界観は一変してしまいます。

 その後、デリーで送金を受け、バラナシ、ブッダガヤと奇跡の体験しながら回るのですが、最後、ブッダガヤで世話になったインド人の友達の店でお土産を買うことになりました。そこで欲しかったのが香木で出来たお釈迦様の木像。日本円で4万円程度。あれば買ってたでしょうが、カード残高もないので泣く泣く諦めます。そうやって後ろ髪引かれながらインドを後にしたのですが、その欲しかったお釈迦様の木像、、、なんと日本で私を待っていたのです。

 もちろんブッダガヤで欲しかったのとまったく同一のものではありませんが、大きさ、形、材質も同じ。値段も同じくらい。私がインドを旅している間、滝の導師が仏像マニアの知人から押し付けられたものでした。要らなくなったからと言って神様を捨てるわけにもいかず、導師に処分をお願いしたとのこと。ただ、その時、そのお釈迦様は誰かを待っていると言ったそうです。それが私でした。今も家にあって毎日手を合わせています。

 そしてそのような「体験」を一度でもしてしまうと、それ以来、「宇宙の意思」みたいなのを信じざるを得なくなったのです。結局、私は「宇宙」から生かされているのだし、そうである以上、困ったことは絶対に起こらないと確信ができたのです。ただし、その条件として、「宇宙の意思」にそった「自分らしい生き方」をしている限りにおいて。その意味で言えば、今の私の生き方はおそらく「自分らしい」まさに「天命」を生きていると思っています。ブログや講演会、セミナーなどでメッセージを伝えたりするのは、他でもない、私がやるべき「天命」だと思っています。

 ところで、昨年、ちょっとした経緯があり、NTTのマイラインを売る営業を3か月間限定でやりました。しかし、なぜか8月のゲリラ雷雨に遭遇し、宝満山の下山中に雷に感電して気絶。右足の筋を痛め全治10日間の安静を強いられました。その間、営業の仕事ができません。実はそのことを、今年の3月、沖縄セミナーの翌日に行った久高島にて、神人の真栄田苗さんとお会いして言われました。一つは雷に打たれたことで、何かの力を得たであろうと。そしてもう一つは「自分らしい生き方」をせよとのこと。

 やっぱり「宇宙」は何らかの「意思」みたいなのを持っていて、いつも私のことを気にかけてくれているんだな~と思ったものです。それら様々の「体験」を通して、私の中で確固たる信念、いやむしろ「体験」そのものとして受け取ったメッセージ、、、それが「絶対感謝」と「絶対愛」だったのです。


 インドのラダックの丘の上で般若心経をあげようと思い立ち、ただひたすら上げていると、800巻を過ぎた辺りからとめどもなく涙があふれ出て、そこで一つの「悟り」を得ました。それが宇宙は感謝でできているということ。あの時は誇張抜きに「感謝」という文字が電光掲示板のように現れたのです。それ以来、私の世界観は一変。あらゆること「感謝」することが、最も早く「宇宙」の意思に触れる道なんだと。

 それと同様に、私は「宇宙」から生かされています。いや、もっと具体的に私は「宇宙」から気にされています。「宇宙」はみんなのことを気遣っているのではありません。私のことを気遣っているのです。そしてそれはあなた一人のことを気遣っているのです。私はそれを「宇宙」の「絶対愛」として受け取ることができました。

 そしてこれが、私が受け取った世の中の仕組みです。本邦初公開。
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 さあ、これを見てすぐに入ってくる人は、かなりわかっている人ですね。本当はこの図だけでわかって欲しい気もするのですが、とりあえず可能な範囲で言葉で説明しますね。

 まず、三角形の下の方にいる人みたいなのは人間です。そして私たち人間が生きているのは3次元世界です。さらに私たちの下には物的世界ってのがあります。「物的」は言葉として正確ではないのですが、いい言葉が浮かばなかったのでそれにしています。ここではあまり重要じゃないので。シュタイナーを勉強している人はおわかりと思いますが、鉱物・植物・動物の次の段階に「人間」がきます。そしてそれらの最大の違いは「意識」を持つかどうか。鉱物・植物・動物は「無意識」のみの世界であるのに対し、人間は「意識」を有しています。それにより「思念」が生まれます。

 そして本来であれば、すべては世の中は無色透明で価値判断などないんですが、人間は「思念」を持つがゆえに、そこに「善・悪」のフィルターを通して「価値」をつけてしまいます。つまり色づけです。その色づけされた世界を「現象界」と言います。現象とは目の前に現れた世界そのもののこと(「現象学」的に言うとエポケーされる前の世界のこと)。

 基本的に我々は常にこの「現象界」に生きています。例えば「財布を落とした」という現象があったとします。それに対して私たちはすぐに「悪」という感情を貼り付けます。そして「財布を落とすこと」はすなわち「悪」という方程式によりそれを事実化しています。その他には「結婚」、「成功」、「合格」、「健康」、「安全」、「満腹」などはほとんどが「善」です。一方、「生老病死」、「失敗」、「不合格」、「危険」、「飢え」などはほとんどが「悪」です。程度の差はあれど、私たちは世の中の現象に対して、ほぼ自動的に「価値化」しそれを「事実化」して生きています。

 そして実際、生まれてから死ぬまで、ずっとその世界観で過ごす人がほとんどです。しかし、実際はすべてが「無色透明」で「善」も「悪」もないのです。普通の人は、ここでつまづきます。財布を落とすことはどうしても「悪」としか思えず、そこに「善」の欠片もないはず。もちろん「善」ではないでしょうが、かと言って「悪」でもないのです。

 例えば1円落とした時、人の気持ちはどうなっているでしょうか。おそらく大したことないと思い、気にも留めないでしょう。感情レベルではほぼ無色透明と言っても差支えないです。しかし100万円を落とした時はどうなるでしょうか。めっちゃ落ち込みますよね。ただ、一日一億円稼ぐ人が、投資かなんかで100万円損失したところでそこまで大騒ぎはしないでしょう。結局のところ、それらは程度問題で、突き詰めると最初から決まった価値なんてないのです。

 一般的に「結婚」はめでたいので「善」に見えますが、結婚で不幸になる人も世の中にはたくさんいますので、絶対的に「善」とは言い切れません。「病気」は今度こそ「悪」に見えますが、世の中には病気だからこそ自分のアイデンティティを保っていられる人だっており、その人は健康になってしまえば、自分じゃなくなるので、病気とて絶対的に「悪」とは言えません。そう考えると、人間の「思念」に左右されない絶対的な「善悪」ってあるのでしょうか。おそらくないでしょう。そう考えると、本来はすべて「無色透明」のはずのものを、3次元に生きる我々はすべてにおいて「善悪」で判断してしまいます。

 で、これはおまけで付けたのですが、その真上に「霊界」ってのがあります。これは言い換えると「現代スピリチュアル」の世界です。現代スピリチュアルの特徴は端的に言って「現世利得」です。前世、守護霊、ご利益、先祖供養、煙焚き、占い、などいわゆるスピリチュアルと言われる営為のほとんどが「現世利得」に結びつきます。もちろんそれ自体を否定するつもりはありません。私もご利益とか大好きですから。

 ただ、これらってのはすべて「善悪」の価値判断の上で行われることで、3次元世界の話から全然脱してないんですね。ですがなんとなく「上」っぽい顔してるので、ちょっとだけ高次元世界にハミさせてますが、実際は3次元の話です。例えば「幸せになるには先祖供養」、、、という方程式があるとします。これは正しいかどうかで言うと正しい部類に入るんじゃないかとは思います。しかし、これも本来は無色透明であって、先祖供養すれば誰もが100%ハッピーになれるかと言うと、決してそんなわけありません。中には先祖供養しているのに結婚できません、私のやり方は間違ってませんか?みたいな疑問を持つ人もいます。結局、ノウハウかよ!ってこと。

 そしてその延長上に「幸せになるには壺」なんて話が出てきちゃいます。確かに壺買って幸せになる人が全くいないとは言いません。ですが、一般的に費用対効果で言えば、決して高いとは言えないでしょう。そもそもこの「幸せ」ってのが既に価値判断であって、色づけされた世界になっています。

 つまり「現世利得」を求めている限りにおいては、それはすべて3次元世界の話に過ぎないのです。もちろん「現世利得」を求めるな、と言っているのではありません。それも段階としては必要ですから。実際、私たちが生きているのは3次元ですし、その中でできる「成功」を目指すのが、社会人の役目と言えば役目です。山にこもって霞食って生きるのが、人間の使命なんてことはありません。せっかく3次元に生まれたのですから、できることをやってからあっちの世界に帰りたいですもの。

 しかし、私がここで伝えたいメッセージはそこに留まるものではありません。成功哲学では「ラットレース」なんて言葉で言われますが、実は「現世利得」ばかりに縛られるのもまたラットレースに他ならないんです。たとえが適切じゃないかもしれませんが。つまり「善」だからする、「悪」だからしないと言う図式。それも価値判断された上ので善悪について。それはそれで、ハッピーなこともあるでしょう。

 しかしですね、、、これまた「体験」したものでなければわからないのですが、実はその「上」があるのです。つまりラットレースから抜けるための「上」が。それがいわゆる「高次元世界」に進むということ。スピ的な言い方をすれば、それがアセンションするということ(2012年のなんとかとは一切関係ございません)。

 その最初の段階として「本質界」を知ることになります。「本質界」と名付けたのは「現象界」の反意語として。イデア界とかモノ自体とかでも同じような意味。ともかく、世界ってのは本質的にはすべて「無色透明」なのです。まずはそこに気が付くことが一つの段階。で、もしもそれが本当に腑に落ちていれば、変なスピリチュアリストに惑わされることはなくなります。

 例えば凄腕チャネラーと呼ばれる人から、「あなたはこのセッションを受けなければ、前世のカルマを解消できずに、いつまでたっても幸せにはなれません」と言われたとします。しかしこれは3次元の価値判断。幸せとか不幸って何?ってこと。そしてそのチャネラーさん、決して高次の存在につながっているわけではないのです。まさに図で書いたような「霊界」の何某かにつながっただけ。

 そもそも人に恐怖を与えるチャネラーがいたら、それは完全に偽物。その辺の浮遊霊とつながって、ろくでもないことを言いたい放題しているだけです。言うこと聞く必要ありません。ですが、逆にいいことばかり言うチャネラーはどうかと言うと、それまたそんなに真面目に聞く必要もありません。ちょっと距離をおいて聞くのがベター。なぜならいいことばかり言われると嬉しいので、どんどんその人のことを信用しちゃいますよね。そこで9回いいことを言ったとして、10回目に恐怖なことを言われたらどうしますか。人は「一貫性」を保ちたがるので、最初の9回は正しいけど、最後の10回目は間違っているとは思えないのです。やっぱ言うこと聞いちゃうでしょ。

 なので恐怖を与えるチャネラーは論外としても、いいことばかり言うチャネラーもちょっと距離を置いてた方がいい場合が多いです。そもそも最初から恐怖を与える人もあまりいませんから。「あなた精神性高いわね~!」の一言でイチコロの人だって少なくありません。だから何か!って話ですが。今、ドキッとした人、いますよね(笑)

 話を戻しますが、この世の中は本質的にはすべて「無色透明」なのです。色即是空空即是色と言ってもいいかもしれません。NLPをしっかり学んでいる人は、その辺のことは知識として知ってはいるでしょうが、最近は覚醒した人も多くなっているので、まさに「体験」ベースで知っている人も増えていると思います。

 でもですね、実はそれだけにとどまらないんです。これもまた「体験」したものにしか理解できないと思いますが、もっと高次の世界があるのです。それが図の中の「絶対愛・絶対感謝」の境地です。今しがた世の中は「無色透明」と言ったばかりですが、実は本当の究極の「宇宙」の始まりにまでつながってしまえば、そこにあるのは「愛」と「感謝」だけなのです。愛と感謝って陳腐な表現かもしれませんが、それが一番しっくりくるんですもの。それは「いまここ」と言ってもいいかもしれません。

 善悪なんてのは時間の概念がなければ成り立ちませんから。チャネラーが「あなたの前世は・・」とか「あなた○○になりますよ」なんて言うのは、まさに時間にがんじがらめのメッセージでしょう。もしも本当に「いまここ」につながっているのであれば、過去も未来もまったく関係なくなります。じゃあ、何があるのかと言うと、何度もいいますが、それは「体験」するしかないです。私は非常にリアルに「愛」と「感謝」を体験したから言えるのです。

 本当に体験しましたもの。宇宙は本当に私に与えるだけ与えて、私が何をやっても受け入れてくれてるな~、と。そして与えることが「愛」であり、受け入れることが「感謝」だと、リアルに体感しちゃったのですね。やっぱり「宇宙」は愛と感謝で出来てるよな~って。その瞬間、ぶわぶわぶわ~って涙出ましたもの。そんで、昨年11月のインド旅行で、ブッダガヤの子どもたちから「あいしてる~」と「ありがとう~」ってシャワーのように言われた時、マジ泣きしちゃいましたから。証拠動画もあがっていますしね。
 
 ほんと、「宇宙」に包まれると言うか、守られると言うか、見てもらってると言うか、そこにあるのは安心とか安全なんてのをはるかに超えた、本当に至福の瞬間なのです。で、今ではそれが割と頻繁に起こるようになっていて、特に、ちびQが生まれてから、ほんと、泣かない日はないくらいに感謝していますし、愛していますから。そんで、子どもがいるとかそんなの関係なく、みんながこんな気持ちを持つことができればめっちゃええやろな~って思いますものね。そんで、私も世の中の人すべてに、ちびQに抱くのと同じような愛と感謝で接することができればな~って思いますものね。

 結局のところ、図のてっぺんにある「絶対愛・絶対感謝」の境地に立つと、三角形の底辺に至るまですべて「愛」と「感謝」で包まれるわけなんです。じゃあ、どうすればそんな境地になれるのか。その辺についても、これからブログとかセミナーとか講演会で伝えていけたらな~って思うんです。今のところセミナーでは3次元のことがメインですが、どっかで高次元のこともしっかりやりたいとは思っています。それが私の「天命」のように今は思っています。「宇宙となかよし」って言いますからね。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-28 23:39 | ■精神世界