江原啓之論 2009.8.25

 今日の滝は冷たかったです。お盆過ぎて本格的に「秋」の気配を感じるようになりました。これから先はもう一回くらい暑くなることはあるにせよ、日に日に気温も低くなり、そして昼が短くなっていくのでしょう。いい感じですね。

 昼からは親子3人でお出かけ。ちびQをチャイルドシートに乗せてショッピングセンターへ。ベビーカーやらおもちゃやらお洋服やらいろいろ。その中でちょっとだけヒヤッとすることがありました。ツレが一人で洋服を見始めたので、私はベビーカーを押して店内をウロウロします。すると何やらエスカレーター付近が騒がしくなっています。どうやらご年配の男性がエスカレーターで滑ったのか、頭を打って血を流していると言うのです。男性は倒れたままエスカレーターで上がってきます。周囲に大人の男は私だけ。ちびQのベビーカーを押しているのですが、エスカレーターに挟まったりしたら大ごとだと、その男性を抱えて安全な場所へ避難させます。すぐに係員が到着して119番。そして、ちびQは・・・と振り向くと、いない!

 赤ちゃんは見ときます!という声に従って、私は倒れた男性の介助に向かったのですが、戻ってみるといないのです。ただ、頭ではどこかの女性が見ていることはわかっているのです。しかし、いざ、ちびQが目の前からいなくなってみると、瞬時に脂汗が出てきました。そして見つかるまで3秒もなかったと思います。その3秒がどんなに長かったことか。何食わぬ顔してベビーカーに乗っているちびQを見た時は涙出そうになりました。もう離さんぞ。

 そして間もなく救命士が到着。倒れた男性もしっかり意識はあったようなので、まずは一件落着。それからいくつかお店を回っていると夕飯時になってしまいました。ちびQはよく着いてきたものだ。帰ってご飯の準備をするのも大変なので、通りがかりのうどん屋へ。よく考えると親子3人では初めての外食でした。疲れたよ~。


 と言うわけで、それが今日一日の動きでした。ところで、最近、私の身近で本を出版する人が増えてきました。そもそも日本全国に出版社は数え切れないくらいありますし、各社の編集者は本を出す作家を常に探している。そう考えると、本を出すことなんて簡単なこと。私も、2年ほど前からいろいろ動いてきていますが、そろそろ本当に出るかもですね。ベストのタイミングで。

 ちなみに最近の本の中にはブログ発も少なくないようで、私の場合もブログと無関係ではいられません。そんな中で、最近、新しくできた人気ブログランキング「スピリチュアル」に参加すると、いつの間にか一位になっていました。これはこれでなかなかええ風が吹いてるな~とか思うのですが、ところでこのブログって本当に「スピリチュアル」かい?って思う人もいるかもしれません。

 確かに滝に打たれたり、なんとなくスピリチュアルっぽいことはしてたりはします。江原啓之さんも滝行してたそうですし。ところで、私自身、世の中で最も嫌いなテレビ番組は何かと聞かれると、とりあえず2つはすぐに思いつきます。一つは「たけしの家庭の医学」です。正式名称忘れた。これ見てると、何やっても病気になりそう。病気の話って視聴率とれるから続いているのでしょうが、あまり見ない方がいいかもしれません。病気を引き寄せそうで。

 そしてもう一つは言うまでもなく「オーラの泉」です。ダントツで有害番組です。ちなみにダントツで有害図書は「水からの伝言」です。なぜそう断定するのかは、その理由を言えと言われたら、それこそ48時間でも延々と説明できるでしょう。で、そんなことを言うから、私のブログは一部のスピリチュアル系の人から嫌われるのです。実際のところ、今まで何人からマイミクを切られたことか。私から申請はしないのですが、リクエストされると、ま、たいていはOKします。ですが、いつの間にか切られているのですね。理由は何となくわかります。最初、「宇宙となかよし」ってちょっとスピっぽいタイトルに惹かれて読んでみると、これがなかなか面白い。ミクシィもやってるみたいだからマイミクにしてもらおう!って感じでリクエスト。

 しかし、時々、「オーラの泉は有害番組」みたいなことを書くので、これはキツイとばかりにこっそりマイミクを切っちゃうんですね。ま、それはそれでいいです。私もしっかり把握していませんから。もちろん、普段は「オーラの泉」が好きな人に面と向かって批判することはありません。一応、その時は「ふ~ん」と相槌だけ打っておきます。ただ、このブログでは自分の好きなように書くスタンスですので、多少は遠慮しますけど、意見を曲げることはしません。

 「オーラの泉」は有害番組で、「水からの伝言」は有害図書。波動低いっすね。スピリチュアルランキング一位にあるブログが「これ」ですので皮肉なものです。ただ、この代表的な2つがスピリチュアル系の人たちに受け入れられやすいのは、実のところそれが「事実」だからでもなく、「真実」を語っているからでもなく、単に「印象」がいいからなんですね。実際、江原さんも江本さんも、めちゃくちゃ「いいこと」言っています。

 ただですね、、、その程度の「いいこと」って、幼稚園の先生も言ってるんです。みんな仲良くしましょう。もしもこれを完璧に守れたら、世の中から戦争はなくなります。ご飯を食べるときは、作ってくれた人に感謝して食べましょう。もしもこれを完璧に守れたら、食糧問題や環境問題は一気に解決します。親孝行してご先祖様に感謝しましょう。もしもこれを完璧に守れたら、本当に愛と感謝に満ち溢れた世の中になります。

 実のところ、幼稚園で教わるメッセージこそが人生の「真実」だったりするのですが、なぜかテレビやマスコミで取り上げられる人たちのことの方が尊いと思ってしまうのです。それは言うまでもなく、そのように「演出」しているからなのです。つまりテレビにせよ、本にせよ、与える「印象」を最大化するための「演出」が常に施されているのです。そして「印象」がいいものが、なぜか「真実」や「正義」に取り替ってしまうのです。

 そこで私が体験した実話を紹介したいと思います。私はかつて変な夢を見ました。何ものかから刀で切りつけられる夢です。切られた瞬間に目が覚めました。実はその当時、前世だとか、守護霊だとかの存在をかなり信じていました。あ、言っておきますが、このブログ始めて5年ですが、以前書いたことと、今書いていることとの間に、たくさんの矛盾が見られます。正直、今となっては恥ずかしいこともかつてはたくさん書いています。いっそのこと過去のその辺の記事を削除しようかと思ったのですが、それも何だか姑息に感じたので、ありのままを見てもらおうと、削除せずにおいてます。成長の過程と思って寛大に読んで頂ければ幸いです。

 話を続けます。その夢を見て、とあるスピ系のチャネラーさんに聞いてみました。するとそれは江戸時代だかに、私は地主みたいなことをしていたそうですが、正義のために武士に刃向い、それがゆえに切り殺されたんだそうです。その時、家族が3人残され、その3人は今生で私を探していると言うのです。そしてその3人に会うことで、私の運命は大きく流れると言われました。間もなく、その一人と会いました。初めて会ったとき、「この人だ!」と直感したのです。確かめるとそうでした。感動しました。

 その方はどんな人かと言うと、以前、船井幸雄さんの本に紹介されたことのある方。かなりの年配の方です。その時、こう言われました。「船井幸雄は波動が下がっている。今一番波動が高いのは江本勝だ」、と。そして何やら波動を測定する機械を持ってきました。定期的に波動測定会もしているとのこと。そして我々一同は波動を測定してもらいます。いろんな数値が出てきました。ある人はかなり波動が下がっていました。そこで出てきたのが「布団」です。一定時間、その布団で横になってもらいます。そして再び波動を測定すると、なんと波動が高くなっているのです。その布団は50万円ほどしました。

 私はその布団を買いませんでしたが、間もなく、私の「エネルギー」が変わってしまったのか、その「前世で残された3人のうちの1人」とは付き合いがまったくなくなりました。おそらくこれから先も会うことはないでしょう。正直、今の私が「波動」が高いのか低いのかわかりませんが、その布団にお世話になることもなく、元気でピンピンしています。それは事実です。50万円払わなくてよかったです。

 以上は私が実際に体験した話。あえて名前は申し上げませんが、今でもすべての実名を出すことはできます。もちろんどんなに聞かれても、その人たちのプライバシーもありますので、絶対に教えませんが。そこで、確かに江原さんも江本さんも「いいこと」は言っています。ただ、私は一歩手前で50万円を払わずに済みましたが(と言うか、あの時は50万円持ってなかった)、実際、私の知らない人で何人もその布団を購入しています。確かにそれで本人が満足しているのであればいいでしょう。しかし、中には釈然としない人だっているわけです。本来必要でないものを50万円で買ったとなると、それは「よくないこと」の部類に入るかもしれません。

 過度な一般化であることを承知で言いますが、もしもここで「前世の縁」など端から信じていなければ50万円を払うことはないでしょう。その「波動測定器」なるものを端から信じていなければ50万円を払うことはないでしょう。確かにたかが50万円です。しかし、水面下では50万円で済まない被害にあっている人も決して少なくありません。お金だけであればまだしも、心まで奪われてしまっている人も決して少なくありません。

 ただし、私は「前世」はあると思っていますし、「波動」もあると思っています。しかしそれらはどんなに頑張っても永遠に解明できないものです。10人のチャネラーが10人とも同じ前世を言ったとしても、それは絶対ではありません。波動はあると思いますが、では、それを測定した値に対する確かさは永遠に解明できません。でも、それらは確かに「ある」と思っています。しかし、それは同時に永遠に解明できないものであるし、そもそも解明する必要のないものなのです。

 そこで「スピリチュアル」とは何ぞやの話になりますが、それを日本語で訳すと「霊的な、精神的な、神聖な」となります。その反意語は「マテリアル」であり「物質的な、肉体的な」という意味です。もっと端的に言うと、「スピリチュアル」とは「目に見えないもの」であり、「マテリアル」とは「目に見えるもの」です。ただ、「色即是空空即是色」という前提においては、「スピリチュアル」も「マテリアル」も大差なくなるのですが、今日はそこまでは踏み入らないことにします。

 もう一度言いますが「スピリチュアル」は「目に見えないもの」であり、「マテリアル」は「目に見えるもの」です。ただし、現在一般的に言われる「スピリチュアル」とは、必ずしもその限りではありません。実のところ、江原さんにしても江本さんにしても、彼らの「スピリチュアル」とは「目に見えないもの」を「目に見えるもの」にすることだからです。

 そもそも前世などは目に見えません。永遠に解明できないものです。しかし、それをあたかも正しいかのように言葉にします。哲学的に言えば対象化します。同様に波動なども目に見えないものですが、それを氷の結晶などのように目に見えるものにします(ウソをついてまで)。

 つまり一般的にスピリチュアルとか精神世界でいうもののほとんどが、「目に見えないもの」を「目に見えるもの」へと「対象化」して決着をつけようとするものなのです。運勢をオラクルカードで占うのもしかり、男女の縁をツインソウルリーディングで知ろうとするのもしかり。「目に見えないもの」を「目に見えないもの」のまま片付けるのではなく、あくまでもそれを「目に見えるもの」へと対象化することで、今の「スピリチュアル」が完結するのです。

 しかし、「目に見えないもの」を「目に見えるもの」にすることにおいては、実のところ「科学」こそが本領発揮するところです。かつてペストは不治の病でした。現在、どんなにインフルエンザが猛威をふるっていようと、かつてのペスト程の被害にはならないでしょう。ペストは実に人口の3割を死に至らしめました。そしてかつて、ペストの治療法は「目に見ないもの」でした。しかし今ではその原因も治療法も確立し、「目に見えるもの」となり壊滅しました。

 かつて人間が空を飛ぶなど考えられなかった時代がありました。人間が空を飛ぶ方法は「目に見えないもの」だったのです。しかし今では何トンもの巨大な鉄の塊が空を飛ぶようになりました。空を飛ぶ仕組みが「目に見えるもの」になったからです。

 つまり現在の「スピリチュアル」が「目に見えないもの」を「目に見えるもの」へと対象化する営みであるとすれば、それは逆説的にも単なる「マテリアル」の文脈でしかなかったのです。だからと言って、それは「科学」と呼ぶにはあまりにも稚拙です。前世が中世の貴族だったなんて話を検証することは永遠にできませんから。

 では、「スピリチュアル」の本当の意義とは何なのでしょうか。それはまさに「スピリチュアル(霊的な、精神的な、神聖な)」と言うように、「目に見えないもの」の「真実」を伝えることです。例えば人はどのように生きていけばいいのか。そもそも人間の使命とは何か。それらを客観的に解明する(科学化する)ことは永遠に不可能です。

 しかしながら確かに「いま」こうやって生きています。存在しています。では、なぜそこに存在しているのか。実のところ、それを科学化することは永遠に不可能です。

 ところが、それを「体験」として知る人が世の中にはいます。それを「悟った人」とでも言うのでしょうか。お釈迦様はその代表者のひとりです。そしてそれに近づいた人も世の中には確かにいます。

 その一人が私であるなどと、教祖じみたことを言うつもりはありません。しかし、事実として会社員時代と今とでは、同じ私でも180度別人のように違います。いや、本質的には同じなのですが、生きる上での「あり方(being)」が全然違います。そのきっかけとなったのは、2005年5月のインドはラダックの出来事もあるかもしれません。所持金を奪われ5,000円でラダックに一週間滞在せねばならなくなったとき、することがなくて5日で般若心経を1000巻唱えようとしたとき。最終日、800巻を過ぎた頃から、なぜかとめどもなく涙が流れ、目の前に電光掲示板のように「感謝」の文字が浮かんできました。その瞬間から、世の中の景色が全然違ってしまったのです。

 それ以外にも滝行を通して、それだけでなく日常のふとしたことから。さらに言えば、今日、ちびQがいなくなったたったの3秒間に。瞬間的ではありましたが、その3秒間はまさに「愛」に満たされた3秒間でした。そして、それは理屈ではなく「体験」そのものなのです。

 もしかしたら、多くの人が、瞬間瞬間に「愛」や「感謝」の「体験」をリアルにしているのかもしれません。いや、きっとしているでしょう。しかし、多くの人はそのことに気づかない。気づこうとしない。なぜ気づかないかと言うと、そこにどうしても「3次元」の思考様式が介在してしまうから。人は常にその瞬間瞬間に凄い「体験」をしているのです。阿部敏郎さん風に言えば「いまここ」に凄い体験をしているのです。

 しかしその「体験」を「体験」のままに「体験」するのではなく、思考や言葉で解釈したり、さらには潜在意識による自動的な反応によって覆い隠してしまいます。しかし、何度も言うように、人は常に凄い体験、言い換えると「悟り」の体験をしているのです。それは理論でも科学でもありません。文字通り「体験」そのものなのです。私の言う「スピリチュアル」とはまさにこのこと。その瞬間瞬間(いわゆる「いまここ」)をありのままに体験すること。それを無理やり言葉で表すと「愛」と「感謝」なのかもしれません。

 もしも私がこのブログでやりたいことがあるとすれば、まさにそれをギリギリのラインで伝えていくこと。それがゆえに「スピリチュアル」のランキングに参加しているのかもしれません。てなわけで、これからも末長く「宇宙となかよし」をご贔屓くださいませ。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-08-25 23:39 | ■精神世界