この世とあの世 2009.8.21

 今日は夕方から福岡NLPセミナーのシリーズ2の第七回目でした。いつの間にか終盤に差し掛かっています。そうそう、次回の第八回はシリーズ1とは違う内容でやろうと思っています。ところで今、ご厚意で貸して頂いているセミナールームですが、前も言ったように、福岡では珍しい20階建マンションの20階で行われています。大袈裟な言い方かもしれませんが、福岡においては「天空」のように心地の良い場所です。


 ところで、いつものごとく、ころころ話が変わるのですが、最近、よく旅行記の本を読みます。何か特別なきっかけがあったわけでもなく、もともと好きなので、時々思い出したように読むんです。24歳の時に世界一周をしたのを懐かしく思い出しながら。最近、読んだのは石田ゆうすけさんの「行かずに死ねるか!」と「洗面器でヤギごはん」です。石田さんは7年半にもわたって自転車で世界を一周した人で年齢は私よりちょっと上。私が1997年にヨーロッパを自転車で横断している時、石田さんも近くを自転車で走っていたようです。その2年後の1999年、私はアイルランドを自転車で一周していたのですが、ある日、日本人に会って「石田です」と自分の名を名乗ると「石田ゆうすけさんですか!」と勢いよく聞かれたことがあります。もちろん違います。

 その時はゆうすけさんのことを知らなかったのですが、バックパッカーの間では有名だったようです。なので、彼のことは記憶に残っていて、それからずっと経ってから本が出ているのを知り読みました。とっても面白いです。願わくば「行かずに死ねるか!」は一冊にまとめるのではなく、せめて4冊くらいのシリーズで出して欲しいと思うくらい。一冊だと走り過ぎて、一緒に旅してる感がちょっと損なわれますので。

 ま、それはそうと、私もいろんな旅行記、それもどちらかと言うとバックパッカーとか私自身に近い目線の旅行記を読んでいて、しばしば遭遇するものがあります。ゆうすけさんのような世界一周、それは私も同じ心境になったので特に共感できるのです。それは「帰国の心境」です。

 正直言って、「旅行」が「旅行」として機能するのは一か月が限度のような気がします。それ以上になると「非日常」の旅行が「日常」に変わっていまい、いわゆる「旅行」気分がなくなるんです。その後はモチベーションの維持が大変。世界中の世界遺産を見るとか、日本では絶対に食べられないものを求めるとか、一国で必ずその国の女とやるとか、人それぞれのテーマがあると気持ちも維持しやすいのですが、多くのバックパッカーは「非日常」が「日常」の惰性へと取り替ってしまうのです。ただ、私やゆうすけさんのように、世界一周だと「進む」ことが最大の目的になるので、一歩手前で自分を見失わずに済むのですが、別に言い方をすると「帰国」そのものが目的になってしまいます。正直、帰りたくなるのです。しかしながら、いざ日本が目の前に来ると。

 ゆうすけさんの「ヤギごはん」は世界一周を「食べ物」の観点から書いた興味深い一冊ですが、帰国は中国から船で韓国に渡り、そこから関釜フェリーで下関に向かうのですが、その時の文章。


「韓国を5日かけて走り、釜山から下関行きのフェリーに乗った。ビールを何本も飲みながら遅くまで起きていた。夜中の2時ごろ、暗い海の上に光が並んでいるのが見えた。下関か北九州の光だろう。ぼくは酔った頭でぼんやりそれを眺めていた。なんの感慨もなかった。達成感も、寂しさも、喜びも。空っぽのまま、海に浮かぶ光の列を眺めた。」


 これを読んで感じたのが、「これはまさに死にゆく人間の心境だ」ということ。私自身の世界一周では、ネパールから一気にテンションダウンして、陸路でインドに戻らず、そのままバンコクに飛び、さらにそこからフィリピン経由で大阪に戻ったのですが、なぜかそのショートカットなエンディングに「旅のダイジェスト」を見たのを覚えています。

バンコクを歩いてはニューヨークのマンハッタンの灼熱を思い出し、宿のドミトリーではブダペストのテレサの宿を思い出し。フィリピンの空港でバーガーキングを食べては、オランダで自転車を盗まれて途方に暮れている時に食べたバーガーキングを思い出し。とにかく最後の最後に旅の総決算のような体験が押し寄せてきたのです。これはまさに死期に見る「走馬灯」でした。

 ここで思ったのが「この世」と「あの世」という概念。普通、「この世」と言えば今生きている世界のことを言うのに対し、「あの世」とは死後の世界を指すのが一般的なようです。ただ、これは本当は逆なのでは。つまり死後の世界こそが日常的な「この世」であり、今生きている世界は非日常の「あの世」であるという図式。

 「旅は人生の縮図」と言いますが、旅に置き換えるとよくわかります。私にとって日本は日常的な「ここ」であり、外国は非日常的な「あこ」になります。旅とは「ここ」から「あこ」へ行き、そして「ここ」へ帰るまで行為を言います。日本から出て、異国の地に着いた時は、まさに生を受けた赤ちゃんのごとく、見るもの見るものすべてが新鮮に映ります。ちびQもまさにこの状態。生まれてきた世界に対していっぱいの好奇心を向けています。

 ですが、そのうちに旅の技術力も身につき、毎日に飽きることがあります。それを人によっては単調な毎日と言うのでしょうか。もちろんところどころにエキサイティングな体験もあります。そして旅も十分に満喫し、帰国に向かいます。それはまさに死期の心境。

 これ、私の世界一周の経験で表すとこうなります。


<アメリカ>
 旅のスタート。コロラドでホームステイをしながら、語学の勉強とコミュニケーション。ニューヨークで初めて独りになる。

<ヨーロッパ>
 お金がなくて自転車で移動する。ただひたすら進むだけだが、すべてに感動。そして旅の体力や技術を身につける。

<中東>
 物価が少し安くなり、旅の要領もつかむ。見どころは多いのだが、徐々に感動する努力を始めようとする。

<アジア>
 物価も安く、食べ物も合う。いろんな人と会ったりするが、同時に帰国のことを考え始める。



 以上に年齢に当てはめると、


<アメリカ:0~19歳>
 言葉やコミュニケーションの基礎を身につけ、思春期に親離れを果たす。

<ヨーロッパ:20~39歳>
 お金もなくて苦労もするが、生きる力を身につけるために、とにかく修業。同時に多くの体験によって感動も多い。

<中東:40~59歳>
 経済的なゆとりができ、生きる要領も自分なりにつかんでいる。しかし、日常に流されていては、感動する心を失うので、何かといろんなことにもチャレンジする。

<アジア:60歳~>
 残りの人生を好きに過ごせるが、そろそろ死を意識し始める。



 もちろん人生はこんなさめきったものでもないのでしょうが、私の世界一周の旅を振り返ると、まさに「人生」に置き換えることができる気がします。「旅は人生の縮図」と言うように、「旅」も「人生」も実は非日常であり、「ここ・この世」に対する「あこ・あの世」なんだと思います。

 と言うことは、私たちは皆、今まさに「旅」をしているのです。ゆくゆくは帰るところがあります。それが「死後の世界」です。それこそが私たちにとって本当のメインの場所であって、今生きている世界は非日常的な「旅」の場なのです。そしてできれば、この「旅」を後悔のないよう、満喫したいと思います。

 私はヨーロッパでは自転車で移動しました。よくやったと思い、後悔はありません。しかし、その自転車の移動は私自身が「選択」した姿であり、まさに後悔のない旅へと自らが進んだ証なのです。エジプトではピラミッドに登りました。それも同様、私が「選択」したのです。旅を面白くするために。そして今でも24歳の世界一周の旅のことを誇らしげに語ることができます。

 それと同じことを今、まさにしているのです。何もしなければ、何もない日常です。しかし、私は少しでも面白くしようと、まあ、いろんなことをしています。会社を辞めるなんてのもその一つだし、今、セミナーやったり、出版に向けて頑張ったり、いろんなことをしています。とにかくやるだけやって後悔のないよう「この世(死後の世界)」に帰って行き、「あの世(今生きている世界)」ではあんなことやったこんなことやったと自慢したいではないですか。旅を自慢するのと同じように。

 とにかく誰もが必ず「この世」に帰るのです。そして今、せっかく「あの世」に旅に出てこれているのだから、精一杯楽しもうじゃないかと思うのです。自転車ならぬ、「肉体」という乗り物に乗って、今まさに楽しい世界を闊歩しているのです。旅行記読んでてそんなこと考えました。うん、やっぱ楽しもうね。ありがとうございました。


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by katamich | 2009-08-21 23:39 | ■精神世界