55歳の俺に会う・・ 2009.8.10

55歳の俺に会う・・ 2009.8.10_b0002156_13285894.gif 今日は久々に宝満山に登ってきました。朝起きて真っ先にちびQ。今思ったけど、「ちびQ」って「オバQ」の親戚みたいですね。そう言えば小さい頃、「オバQ」に出てきた「バケラッタ(Oちゃん)」が怖かったです。今見ると可愛いのですが、小さい頃は、なぜかあの丸いフォルムが怖かったのです。なんででしょうか。なのでオバQがやってても、いつバケラッタが出て来やしないか気がかりで見てられませんでした。

 宝満山は集中豪雨後初めて。途中の道が土砂崩れで立入禁止になっていましたが、ちょっと遠回りして無事登頂。麓から見た宝満山は頂上に雲がかかっており、実際、頂上は霧雨のようなもやがかかっており、大自然のクーラーのようでした。今の季節、山登りするには暑すぎます。でも頂上はめちゃくちゃ気持ちがよかったので、そのまま寝てしまいたかったです。夕方頃、家に到着して、すぐにシャワー。ついでに、ちびQもお風呂に入れます。正直、ちびQとお風呂に入ってる時間は至福です。


 ところで、昨日の「ドラえもん」の話ですが、今日もずっと余韻に浸っていました。なんでこの話にこんなに感動しているのか。いろいろ考えていたのですが、もちろん45年後のび太が最後に言ったセリフに感動したのも大きいです。ですが、それと同時に、のび太が45年後から来たという事実に、なんだかたまらないものがあったのです。

 45年後ののび太は、子どもののび太の身体を借りて(入れかえロープで)、45年ぶりに子ども時代を体験します。ジャイアンたちから野球に誘われて参加するも、相変わらずドジばかり。お約束通りにジャイアンとスネ夫は「おまえのせいで負けたんだぞ!」と詰め寄ります。のび太は「アハハ、昔の通りだ」と喜びます。将来結婚することになっているしずちゃんと出会って感激します。
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 家に帰るとママが待ちかまえて叱ります。「もっとしかって!!」と喜びます。家に帰ってきたパパに飛び付き、ご飯を食べるとき「この味!ママの味だ!」と大喜びします。
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 原作の設定では、のび太は小学4年生。10歳前後です。ですので45年後は55歳。働き盛りではありますが、定年まではあと少し。確実に人生の後半には入っています。その時、パパとママは80歳は超えているでしょうが、存命かどうかの判断はできません(実はアニメでは両親・妻まで亡くなったようなニュアンスだったようですが、それがアニメ制作者の意図であったにしても、藤子F不二雄はそんな話は絶対に書かないと思います)。

 55歳ののび太。それと自分自身を重ね合わせると、私もこのまま20年後には55歳になります。さらに言えば、私にも10歳の頃がありました。あの当時は私の小学生。毎日、グランドを通って小学校に通い、担任はスズキ先生。学校から帰ると、決まって友達のトシヤ君たちと遊んでいました。野球をやったり、崖に登ったり、プロレスごっこやったり、絵を描いたりして。今、もしも私が10歳に戻ると、きっとこう言うでしょう。


「それでいい」


と。ですが、55年後の私が今の私を見たらどう言うでしょう。やっぱりこう言うと思います。


「それでいい」


と。それに加えて、


「きみはこれからも何度もつまづく。でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ」


とも言ってくれるでしょう。と同時に、こうも言ってくれるかもしれません。


「きみは今、とても素敵なときを過ごしているんだよ」


と。45年後の(55歳の)のび太は、ジャイアンたちにいじめられて喜び、しずちゃんに会って感激します。ママに叱られても涙を流して喜び、ご飯を食べては感動します。

 これと同じように、55歳の私から見ると、いろんなことを経験してはいても、確実に失っているものもあります。例えば、ちびQは2か月半ですが、そのちびQは今この瞬間にしかいないのです。20歳のちびQも素晴らしいと思いますが、2か月半のちびQは今しかいないのです。

 山に登ったり、滝に打たれたり。おそらく55歳の私も同じようなことをしていると思いますが、間違いなく今とは感じ方も違うでしょう。今、いろんな悩みや苦労を重ねながらも、セミナーをやったりして自分の生きる道を創っています。9月の大阪セミナーの値段を決めるのに2週間もかかりました。人知れず悩み抜きました。でも、こうやって一歩一歩確実に前に進み、自分のステージを上げていってるんだなぁと思います。

 おそらく55歳の私はもっともっと大成功していると思います。セミナー料金を決めるのに2週間かかる今の私を懐かしく思っているでしょう。でも、そんな私は「今」しか経験できない私なのです。10歳の私、20歳の私、30歳の私がいたからこそ、今の私がいるのと同様、今の私がいるからこそ55歳の私もいるのでしょう。

 55歳の私から見ると、なんでそんな些細なことに悩んでいるんだ、と思われるかもしれません。しかし、この悩みがあるからこそ、明日の私がいるのです。未来の私がいるのです。55歳ののび太が旧友に会い、ママに叱られていることに感激するように、「今」を生きている「私」はなんて尊いのでしょうか。なんて感慨深いのでしょうか。

 いかに悩みや葛藤があっても、それらはすべて喜びにつながること。感謝すべきこと。もちろん、今の喜びもまた掛け替えのない喜びです。今、まさに55歳の私が言いました。


「それでいい」


と。ありがとうございました。

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Commented by ミユキ at 2009-08-21 14:24 x
先週の8月10日に祖母(父の母)が亡くなり、人の生死や一生について考えていた時にQさんのこの記事を読み、
すごく感じ入るものがあり、感動してPCの前で鼻水を垂らしながら号泣しました。

母を亡くした父は現在56歳。母を亡くした夜、一人で泣いたそうです。

“55歳ののび太が旧友に会い、ママに叱られていることに感激するように、「今」を生きている「私」はなんて尊いのでしょうか。なんて感慨深いのでしょうか。”

ママに叱られて喜ぶのび太と父が重なり、この文は特に感動で涙が止まりませんでした。「今」の尊さが、理屈ではなく腹にずしんと響きました。

しんみりした文になってしまいましたが、
日記を読んで感動したことをただお伝えしたくてコメントさせて頂きました(^ー^)

ではでは。
Commented by katamich at 2009-08-23 18:28
■ミユキさん!
本当に常に「今」に感謝して生きていきたいですね!心から。
Commented by あみみ at 2014-10-05 21:49 x
このお話を聞いて 十代の今を大切に生きたいと思いました^^
by katamich | 2009-08-10 23:39 | ■人生哲学 | Comments(3)