宇宙となかよし

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Qと申します。読んで頂いた皆さんが笑顔になり、ますますパワーアップできるようなブログを目指しています。

「今」について 2009.7.17

 今日は夜にNLPセミナーをやりました。毎週金曜日のこの時間はすっかり定番になりました。今日はシリーズ2の5回目。早くも半分ですね。来週はシリーズ1の10回目でラストです。3月から始めたNLPセミナーも、5か月で一つが終わります。とりあえず9回までやってみて、いろんなことがわかりました。内容的にとてもよかったものがもあれば、必要ないかな、と思うものも。その辺は最終的に参加者からのフィードバックで反映していきたいと思っています。そしてよく考えると4月に東京と仙台に行ってから、出張にも出ていません。去年などは毎月東京に行っていたのに、今年はちびQが生まれたこともあってちょっと控えています。でも、9月頃からまた全国行脚を再開しようかと思っています。

 ところでNLPもそうですが、2年前からセミナーをやってきて、改めて私は何を伝えたいのか、ふと考えている瞬間がありました。セミナーに参加することで、参加者は何を持って帰るのか、何がどう変わるのか。そしてわかったのが、最終的には「自分らしくある」ことに尽きるということ。

 では、どうすれば「自分らしく」あることができるのか。ところで、「滝行」をやっていて感じることがあります。夏の滝はともかく、冬の滝はとことん辛いです。しかし、よくよく考えてみると、その「辛い」という感情はその瞬間にあるのではなく、未来に対する不安感から来ているように思います。実は一瞬であれば、誰でも耐えられるわけです。それがたとえ火の中であろうと、一瞬であれば耐えられます。なぜなら考える時間がないから。

 しかし人は何かの拍子に考えてしまうと、そこにあるのは「安心」か「不安」かのどちらかです。人は常に「過去」か「未来」のことを考えて生きているのであり、「今この瞬間」に対して真剣に考えることはありません。そしてさらに分けると、「過去」における「安心」か「不安」、「未来」における「安心」か「不安」のいずれかを考えてしまいます。それが下の図です。
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 「過去‐未来」と「安心‐不安」のそれぞれの軸があり、それらをXとYでクロスさせると、4つの象限(「未来×安心」、「過去×安心」、「未来×不安」、「過去×不安」)ができます。そして本来、人はXとYの重なる点、つまり「今」に立っています。未来や過去に立つことは物理的にあり得ません。そして「今」この瞬間においては、実は安心も不安もありません。単に「今」があるだけなのです。

 しかし多く人は放っておけば、「未来×安心」か「過去×安心」か「未来×不安」か「過去×不安」かのどちらかに自然と傾いてしまいます。もちろん「未来×安心」に傾いているのが望ましいようには思います。その方が現実もそちらに傾きやすいですから。しかし、本当の「自分らしさ」とは実は「今」に立ち続けることではないかと思うのです。

 過去の自分は厳密には本当の自分ではありません。例えば、小学校の頃、ウンコを漏らしたとします。そこでウンコを漏らした自分がつまり「あなた」ですよ、と言われて、そのままうなずける人は少ないでしょう。それはウンコを漏らした過去の自分であって、現実の自分ではないからです。また、過去にモテまくっていても、そこにばかり留まっているのもさみしい話です、自分にとって現実の自分とは、まさに「今」以外にはどこにもいないのです。

 それは当然、未来の自分に対しても同様。そもそも未来なんてのは「未だ来ず」と書くように、誰も見たことのない架空の世界のこと。それが現実の自分だなんてことはあり得ません。そして「安心」や「不安」なんてのも、「過去」か「未来」にしかないもの。つまり「安心」や「不安」でさえも、現実の世界ではないのです。

 結局のところ、「自分らしさ」=「本当の自分」=「現実の自分」とは「今」にしか存在しないことにあります。そしてどれだけ「今」を生きることができるか。そこに「自分らしさ」があるのだと思います。例えば何かに「没頭」している人がいるとします。その人はとことん「今」を生きています。そしてその姿はまさにその人そのもの。「自分らしさ」に当てはまることでないと、人は「没頭」することはできませんから。

 滝行の話に戻りますが、導師が言うには、滝行で目指すところは「想いを捨てる」こと。それはすなわち「今」に没頭することだと言えます。滝行は確かに冷たく痛いのですが、滝は誰に対しても平等にそこにあります。そして人間の身体もさほど変わるものではありません。だとすれば、なぜ、滝に打たれることができる人と、すぐにそこから出てしまう人がいるのでしょうか。それはまさしく「今」を生きているかどうかに尽きると思うのです。

 滝の中では一応決まったメニューがあります。それを唱え終わるまでは出てはなりません。しかし、冷たく痛く辛いです。それでも入っている必要があるとすれば、そこに冷たさや痛さなどの「想い」があっては難しいです。「想い」をとことん捨てること、言い換えると、「今」を生きることこそが滝の醍醐味だと考えています。

 逆に私の場合は、会社員時代は不平不満、将来への不安ばかりの毎日でした。それがある日、滝行に出会ってから、あれよあれよと人生が変わって行き、そして会社を辞めて今に至るのです。思えば、それは「今」をとことん生きるための、まさに「修行」だったのかもしれません。

 しかし、「修行」をするのに「滝」が必ず必要かと言うと、決してそうではありません。私の場合はたまたま滝が近所にあって、自分自身にフィットするから続けているのであって、実は「日常」にこそ「修業」の場があると思っています。それは会社だったり家庭だったり。そのような「場」において、いかに「想い」を捨てて、「今」に没頭するか。それこそがまさに「修行」だと思います。

 ま、私の場合は家庭はありますが、以前の会社のような修行の場はありませんので、あえて「滝行」が必要なのかもしれません。冬に100日間、毎日滝に打たれて、酒、肉、Hを禁止なのと、会社で仕事するのどっちがいいですか?と言われたら、もしかしたら多く人は会社と言うかもしれません。私の場合は会社がないので、あえて滝行に没頭することで、「今」を生きるコンディショニングをさせて頂いているのかもしれません。

 近頃は金曜日のNLPセミナーの翌日に、一緒に滝行に行かれる人が増えてきました。私がセミナーでお伝えしたいのは、究極は「自分らしさ」を生きること、すなわち「今」を生きることにあるので、セミナーと滝行のセットはまさに私が表現したいことにフィットしているのかもしれません。そんあことを考えていました。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-07-17 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)
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