死と対面する 2005.7.4

 今日は北九州の「畑観音」に滝行に行こうと早朝に家を出ました。7時半過ぎについたのですが、いつものメンバーがなかなか来ません。とりあえず滝場まで上がっていくと、すごい状況でした。ここ最近の暴風雨のため、枯れた大木がなぎ倒され、「立入厳禁」の看板がぶら下がっていたのです。とりあえず滝に打たれるのに支障はなさそうだったのですが、このような場で危険を冒すのはよくありませんので退散。

 そこで、せっかくなので近くにある「菅生の滝」に行くことにしました。ここは3度目か4度目なのですが、ひとりで行くのは初めてです。それも今日は今までで一番水量が多いのです。この滝は九州最大の修行の滝。本格的な行者さんが命をかけて修行をする場所で、私の導師はここで1,000日続けて滝行を行いました。

 もともと導師はビジネスマンでした。それも億を動かす会社を経営し、現世利得にどっぷりつかっていたのですが、ある日、突然の原因不明の病に襲われます。救急車で何度も運び込まれるのですが、病院に行くと症状が治まり、何の手当てもできず帰らざるをえないことがしばしば。家に帰るとまた身体全体に激痛が走り救急車を呼ぶのですが、今度は別の病院に行かなければばつが悪いです。それでもやはり異常なし、と言うか原因不明。

 ある日どうしようもなくなり、知人から神仏の世界に誘われ行ったところが、この「菅生の滝」であったとか。そこには先達の導師が待ち構えており、「お待ちしていました」と一言言い、ある程度の滝の作法を教えてすぐにいなくなってしまったそうです。そしてこの「菅生の滝」に入り初めて3日後、原因不明の病が消えてなくなったとか。その後は数々の不可解な現象とともに1000日間(約3年)の滝行を敢行しました。その間、肉や魚はもちろんのこと、五穀も断ちながら、最後の10日間はお堂入りします。そこでは食べない・飲まない・眠らない・横にならないのいわゆる「四無行」に入ります。全神経が完全に研ぎ澄まされ、2キロ先で歩いている人の足音が聞こえ、だいたいの人となりさえわかるようになったそうです。その「菅生の滝」がこちらです。
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 ここは地元でも有名な滝の名勝で、夏には避暑を楽しむ人たちでにぎわいます。しかし、夜になるとおどろおどろしい心霊スポットとしても名を馳せており、実際、この滝では何人もの行者さんが命を落としています。この滝は3段くらいにわかれており、一番上が上の写真の「Yの字」になった箇所になり、ここが本格的な行者さんの場所になります。それ以外、下の方でも一応は打たれることができます。

 実のところ、今日は見るだけにして帰ろうと思っていました。やはり水量の多い日に一人で行くのは何かがあった時に取り返しが付きません。しかし、、、この美しい滝を見てしまうと、誘われるがままに滝着に着替え、お参りを済ませて、崖をよじ登り初めてしまったのです。下の写真のほぼ中央部の「Yの字」の場所に向かっていくのですが、そこまで行くのに半ばロッククライミングのようなことをしながらアプローチしていきます。正直、その段階から恐いし、足を滑らせると落っこちます。命の落とす人のパターンとしては、とにかくどこかで足を滑らせ、落ちてどっかの岩に頭をぶつけて脳震盪。そのまま下の深さ4メートルの滝壺に水没か、冬は凍死。

 私がいつも打たれている不入道なり一の滝なり畑観音は、よほどのことがない限りそのようなことはありません。しかし、この「菅生の滝」は足を滑らせると確実に落ちますし、下手したら死にます。周囲に人がいれば何とか助かることもあるのでしょうが、一人だと助からない可能性が大。実際、命を落とす人のほとんどは一人で行った時のようです。
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 いよいよ「Yの字」の場所までたどり着きます。しかし、すごい水量で、滝壺が見えません。今まで来たのは、いずれも水量の少ない時。自分が立つ場所も見えます。しかし今日は水量の多さで見えません。見えないほど怖いものはありません。立った瞬間にそのまま流されて落っこちてしまうのでは、、、なんて恐怖が走ります。第一、その場所に行くのは、手前の岩を飛び越える必要があり、それがまた怖いのです。いろいろ考えました。行こうかどうか。10分以上はその岩の前で考えました。そして岩に手をかけるところまで行きました。
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 次の瞬間、ツレとちびQの顔が浮かんできました。結論。行かない。正直、私としては珍しいこと。今までならば多少の危険を冒してでも行ってました。無茶やって負傷しながらも、なんだかんだと行ってました。しかし、今日は行かないことに。幸い、岩の手前でも十分な水量があるので、そこでしばし滝行をしましたが、結局、岩の向こうのスポットには行きませんでした。

 例えば篠栗町の一の滝で滝行をして、事故死する確率は0.1%もないでしょう。もちろん普通のコンディションで。しかし「菅生の滝」では、下手したら3%位は事故死する可能性が考えられます。たかが3%、されど3%です。その3%を甘く見て、夕方のニュースで放映されるのは勘弁です。ちびQを抱っこしながらツレがそのニュースを見る。そんなことあってはなりません。ですので、今日は岩を超えませんでした。後ろ髪引かれる思いもありましたが、今、こうやってブログを書けることに感謝です。

 昨年もゲリラ雷雨の最中、宝満山に登って下山中に雷に感電して反省したはずです。私ももうひとの親。責任ある親です。そんな無意味な無茶をするメリットはありません。あの時も下手したら死んでいたのですから。

 今日、「菅生の滝」に呼ばれた意味を考えてみたのですが、もしかすると「地に足付けろ」ということかもしれません。私にとって今一番大切なのは家族です。すべてにおいて「家族ありき」だと思っています。そのことと、無茶をすることとは矛盾が生じます。もちろん滝行をライフワークとしてこれからもずっとやって行こうとは思っていますが、身体あってのライフワーク。この世でやり残したことがないのであれば無茶も悪くないのでしょうが、正直、全然やり残しています。

 「菅生の滝」の岩の手前で悩みました。ここを超えようか超えまいか。答えは「超えない」ことでした。何となく「うん、それでいい」と言う声が聞こえた気がしましたし、あとから導師に電話をしたところ、やはりそれでよかったようです。

 このような言い方が適切かどうかわかりませんが、結局はメリットとデメリット。無茶をして命をかけるメリットがどこにあるのか。仮に無事に打たれたところで、次回もまた無茶をして、どこかで終わってしまう可能性もあるのです。やっぱりここはやめてよかったのです。5月27日に私のアイデンティティが変わりましたが、そのことを改めて確認させてもらえる滝行となりました。ちなみに5月27日は導師の誕生日でもあり、ちびQと同じ丑年60歳です。これも何かの縁を感じさせますね。

 と言うわけで、今日は久々に「死」なるものに対面した気持になりました。人間はいつか必ず死にます。死ぬために生きているようなもの。しかし大切なのは、いずれ訪れる「死」に際して、十分に「生」を全うしたことに誇りを持てること。動物は単純に生まれて死んでいきます。ある意味、人間だけが「生」や「死」の意味を考えます。もしかしたら考えることはバカバカしいのかもしれません。動物のようにただ単に生まれて死んでいく方が幸せかもしれません。しかし、人間は「思考(言葉)」を持つ以上、どうしても考えてしまいます。その「思考」の呪縛から逃れることもまた人間の試練かもしれないし、だとしても、それまでいろいろと考え悩むこともまた人間らしさではないかと思うのです。

 とにかく私は今死んでも何の誇りもありません。いつの日か、本当に御迎えが来る日に、笑いながら去っていけるよう、今のこの「生」を十分に楽しみたいと思っています。ネイティブアメリカンの言葉だったかに、こんな話があります。


理想の生き方とは、

大勢の笑顔に囲まれ、本人は泣いて産まれる。

そして大勢の泣き顔に囲まれ、本人は笑顔で死んでいくものだ。

 

 確かに、ちびQは大泣きしながら生まれてきましたが、私たちは爆笑していました。でも、今後、いつかは訪れる親の死、そして私の死。その時には大勢の人に泣いてもらい、そして笑顔で去っていけるような人生をこれからも創っていきたいな~と思いました。今、滝場で死んでも笑えませんものね(爆)。さあ、一所懸命に生きるとするか!ありがとうございました。

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愛と感謝:97日目】

<愛>
・「菅生の滝」で真剣に家族のことを考えることができました。

<感謝>
・今日も無事に生きていられることに感謝します。
by katamich | 2009-07-04 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)