滝行セミナーが・・ 2009.4.20

 今日から月曜日で4月も3分の2が終わりました。ついこないだエイプリルフールネタをやったばかりだと言うのに早いものだな、と思いながらも、そのネタ自体が結構前のような気がしますので、それなりに密度の濃い4月何ですね。

 4月は何と言っても東京セミナーと初の仙台セミナー。毎回そうなんですが、セミナーの度に何かが変わるし、何かが起こります。そして4月3日に福岡NLPセミナーをやって、今月は24日に第4回目を行いますが、一週間で満席になりました。そして5月からはもう一つ増やして毎週する予定ですので、文字通り福岡固めが始まります。私の思惑通りの展開になっています。そして5月は初の「滝行セミナー(仮題)」も開催されますので、新展開がどんどん始まっています。そして6月にはさらなる展開も待っています。

 てなわけで、今日は「滝行セミナー(仮題)」の内容などを考えていたのですが、セミナーに滝行をどう組み合わせるかと言う話。そもそも「なぜ、滝行なのか?」について考えてみました。私が滝行をやったきっかけは、文字通り「なんとなく」でした。知り合いが滝行をやっているのを知り、普通の人でもできるのならば、ということで2004年8月に初めて体験したのです。特に何か目的があったわけでもなく、夏だし、精神修行みたいなのに興味を持ち始めていたし、いいタイミングだったので、なんとなくやってみたのです。するとそのままはまってしまい現在に至ります。「行」としては300回、それ以外の滝を合わせると500回以上入っている中で、自分なりにいろんな気づきがあったりしました。そしてそれをセミナーのコンテンツとどのように融合させるか。

 まず、セミナーでは徹底して「自分らしさ」にこだわっています。私のセミナーは「○○になる」のような、自分ではないものを目指すのではなく、徹底して「本来の自分」へと変化していくことを目的としています。ですので、特定の職業やノウハウを目指すのではなく、もともと備わっていた「本来の自分(=天命)」に気づくことによって、本当の意味での「望ましい人生」を実現していくものです。そしてそれは誰よりも私自身が実現しているからこそ、それをお伝えしたいと思っているのです。

 だからと言って「滝行」が「自分らしさ」とつながるとかと言えば、必ずしもそうではありません。しかしながら、「滝行」はいわゆる「潜在意識」を揺り動かすのに、これほど劇的な体験もないと思っています。もちろんその手段としてはいろいろあっていいのですが、「滝行」もその一つだと考えています。

 まず、人間の意識構造は大きく分けて「意識」と「無意識」があります。それをさらに細分化すると、「意識=顕在意識」と「無意識」の中には「無意識(狭義)」「潜在意識」「超意識」というのがあります。
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 簡単に説明すると、「意識(顕在意識)」とは思考や言語のこと。人間にしかないものであり、喜びや悲しみの感情を表現する手段、さらに感情をコントロールする際も「意識」の働きは大きいです。例えば喜びの感情自体は「無意識」からくるものですが、それを「嬉しい」と意識化(言語化)することによって、表現へと結びつきます。さらに「嬉しい」に「めっちゃ」を付けたりすると(めっちゃ嬉しい)、無意識的な喜びの感情が倍増したりします。逆に悲しみの感情について「悲しい」と意識化することにとって、一つの表現となりますが、それに「ちょっと」と付けると(ちょっと悲しい)、その悲しさが減少することもあります。つまり「意識」とは「無意識」のパターンを強めたり、弱めたり、コントロールしたりできるのです。そして「意識(言語)」によって「無意識(感覚)」をコントロールするスキルがNLP(神経言語プログラム)だったりするのです。

 その次に「無意識(狭義)」ですが、これは単純な反応だと考えていいです。長時間同じ姿勢を保っていたりすると、背伸びをしたり、足を組みかえたりしますよね。これは意識してやっていることではなく、「長時間の同じ姿勢→血液が滞るなど=危険(安心・安全じゃない)→無意識的に背伸びをする」という「反応」になるのです。それ以外にも「癖」みたいなのはそうです。

 この「無意識(狭義)」の特徴は、単なる「反応」ではあるのですが、意識すればコントロールすることができるところです。例えば「貧乏ゆすり」の癖があったとして、貧乏ゆすりしている最中に「やめないさい」と言えば、とりあえずはストップさせることができます。一時的に「反応」を抑えているのです。しかし、意識せずにいるとまた貧乏ゆすりが始まります。これも無意識な反応。なぜ、やめることができる反応が再び始まるのでしょうか。それが「潜在意識」の力によるもの。

 「潜在意識」とは無意識の下に潜む「プログラム」です。つまり貧乏ゆすりの癖がある人は、そうさせる「プログラム」を持っているのです。他の例で言えば、「対人恐怖症」というものがあったとします。その人は他人に会うと鳥肌がたったり、動悸がしたりするなど、無意識的な反応が始まります。もしもこの時、「じゃあ、深呼吸して落ち着きましょう」と言われたとして、その通りにすると、いったんはその反応もおさまります。しかし、また別の人に会うと同じ反応が始まるのです。これこそが「プログラム」です。「対人恐怖症」で言えば、何かの経験によって「他人=恐怖」というプログラムができてしまい、それが絶えず無意識の反応としてプログラミングされているのです。ですので、どんなに「落ちつけ」と言語化したところで、「潜在意識」のプログラム自体が働いている限りは、根本的に落ち着くことはできません。

 では、なぜ「潜在意識」にそのようなプログラムが入ってしまうのか。それは実にシンプルであり、「潜在意識」は「安心・安全」を求めているからです。何かの拍子に他人から傷つけられてしまった場合、それは自分にとって「安心・安全」ではありません。そして人間の脳は複雑なのを嫌うため、一般化して、「すべての他人は恐怖の対象である」とプログラミングしてしまうのです。ですので、「潜在意識」自体に悪意はなく、自らの「安心・安全」を守らんとするがために、善意でプログラミングしてしまうのです。そしてその「安心・安全」の大元となっているのが「超意識」です。

 これについては非常に多くの紙面を要するため、ブログでは簡単に説明しますが、「超意識」とはすなわち「本来の自分」だと言えます。人は生まれてきています。それは死ぬまでに何かをするための生まれているのです。では、その「何か」をするためには、ある程度は生きておく必要があります。その「生きておく必要」を守るのが「超意識」であり、その「何か」を知っているのがまた「超意識」なのです。

 例えば死にかけた人がいたとします。間一髪で奇跡の生還を遂げた場合などは、まさにその「何か」を果たさんがための「超意識」による底力だと言えるのです。「火事場のクソ力(KKD)」などはまさにそう。例えば、寝ていて突然大地震が起こったとします。その時、大きなタンスが倒れてきたのですが、それを片手で支えて火の中を脱出するなんてのは、少なくとも「潜在意識のプログラム」にはありません。「潜在意識」には「火は怖い」というプログラムがありますので、その「火」から自分を守るためには動かないことがベストなのです。しかし、その「潜在意識のプログラム」さえも突き抜けて自分を守ろうとする、さらに言えば、人生の使命や役割(天命)を果たそうとする。そのためには、火に飛び込んで出でも自らの「命」を守る、その働きこそが「超意識」なのです。

 と言うわけで、「意識」「無意識」「潜在意識」「超意識」について日本一わかりやすくお話しましたが、それと「滝行」がどのように関係があるのか。それを説明します(と、書いている時点では、あまりまとまってないのですが、今、勝手に手が動いているので、きっといい説明ができると思います)。

 まず「滝」は冷たいです。特に冬場の滝は生命にかかわります。例えば気温が0度の時は、当然、水も冷たいわけで、滝に入っているとどんどん体温が奪われます。そして人は体温が30度を下回ると死に近づくそうです。その反対に45度以上でも死に近づきます。以下、参考(超健康が夢 院長日記 「体温の話 人は何度で凍死するか」


人は体温が35度Cになると方向感覚が鈍くなり、ついで性格が内向的になり、物忘れしやすくなる。さらに30度Cで無感覚になり、27度Cで死んでしまう。人は、このように体温が30度Cになるとすでに危険であり、27度Cになると凍死するが、一方体温が45度Cになっても死んでしまう。30度C~45度Cの僅か15度の温度差に生きる生物なのである。


 このように、0度の滝に入ると、限りなく死に近づいていくわけで、それを回避するためには内面から体温を上げるなどして、自然と体温低下を抑える機能が働きます。ですので、冬の滝に入ると、出た直後は身体が真赤で、しかも行の間はずっと体温が高くなります。平熱が36度5分だとすれば、私の場合、常に36度7分以上にはなります。だから、滝をやっていると風邪をひかないのです(病原菌は高温に弱いらしいから)。

 5月はもちろん0度の滝に入ることはありませんが、それでも今まで経験したことがなければ、身体がかなりびっくりすることは間違いないです。そしてまず「意識(言語)」によって「冷たい」と出てきます。そして「無意識(狭義)」の反応としては、身体を委縮させます。それをさせているのが「潜在意識」です。ですが、滝の中に入るなど、これまでの経験にはないパターンに「潜在意識」はパニックになります。そこで「超意識」が自らを守るために出動し、体温を上げるなどの底力を出して身体を維持します。

 ここで重要なのは「潜在意識」がパニックになることです。「潜在意識」とは良くも悪くも「変化」を恐れます。癖が直らないのも「変化」させないためです。しかし、滝という体験においては、ものすごいインパクトによって「潜在意識」が混乱してしまい、変化を維持するどころではありません。言わば「潜在意識」の働きが機能停止になり、その下にある「超意識」が出てこざるを得なくなるのです。

 私が2005年2月に初めて21日滝行をやったのですが、その後すぐに会社を辞めて自分の好きな人生に進んで行けたのは、まさしく「超意識」の働きによると考えています。私の「超意識=天命」は、私がサラリーマンであることを是としなかったのですから。

 で、滝の中で「潜在意識」が機能停止になると、2つの方向性が出てきます。一つは今言った「超意識」が顔を出してくること。そしてもう一つは機能停止した「潜在意識」に対して、新たなプログラミングがしやすくなること。もう、「潜在意識」はパニックになってしまい、何でも受け入れようとさえします。その時、「言葉」が重要な働きをします。ここで般若心経や観音経を唱えると、普段よりも潜在意識に入りやすくなります。また、初心者の方は「六根清浄」と唱えてもらうようにしています。「六根」とは「視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚」に加えて「意識(第6感)」を指します。それを「清浄(浄化)」するのですから、「潜在意識」があらゆる「浄化」を受け入れ、それまであった「(時代遅れの)プログラム」さえも手放すことが可能になるのです。極論を言えば、「対人恐怖症」というプログラムさえも「六根清浄」の言葉とイメージによって浄化することが可能になるのです。

 実際、滝行を長く続けているメンバーは、実にハッピーな人たちばかりです。そこで私のセミナーと融合します。私のセミナーでは徹底して「自分らしさ」に向き合っていきます。セミナーではいろんなコンテンツを用意しているのですが、そこに「滝行」を加えることによって、「潜在意識」による時代遅れの機能をいったん停止し、そこに「本来の自分」にリンクした様々なリソースを抽出していきます。そして文字通り「本来の自分(天命)」を発見し、さらにその「本来の自分」で勝負していくための「戦略」にまで落とし込んでいきたいと思います。

 ですので、セミナーの初日は滝行の前、3時間で今のようなレクチャーや潜在意識のワーク(特にVAK)をやってから滝行、そして宿坊に帰ってからもいろんな「語り」やワークによって「超意識」を刺激してもらいます。翌日はちょっと散歩をした後、宿坊をチェックアウト。それからまた一日のセミナーの中で、いわうる左脳的なコンテンツを取り扱いながらも、「本来の自分」を発見し、そこで勝負できる戦略を持ちかえってもらおうと思っています。

 てなわけで、書いているうちにセミナーなコンテンツがまとまってきました。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-04-20 23:19 | ■セミナー・研修・講演 | Comments(0)