宇宙となかよし

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愛と感謝の日記 2009.3.26

 今日は久々に「宝満山」に登ってきました。天気も良く、花粉もなくなったので、今が一番いい季節かもしれません。真冬は雪が積もるし、真夏は暑すぎる。久々だったので、いつもよりゆっくりのペースで登ります。普段は90分以内に登れていたのですが、今日は120分かかってしまいました。途中で何度か休憩もしましたから。ま、私にとって宝満山とは、登る速さを競うものではなく、感じるために登っているので、ある程度はゆっくりの方がいいです。福岡近辺にお住まいの方は、一度は宝満山に登られることをお勧めします。ただし、しっかりした靴でお願いします。とにかく不規則で急な階段が延々と続く感じなので、靴はとても重要。近々、私のセミナーに参加された方々と宝満山に登る企画をしたいと思います。
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 ところで、最近、私のマイミクさんなんかで「愛と感謝の日記」ってのされている人が増えてきました。素晴らしいな~と思います。この「愛と感謝」の日記とは、どんなことでもいいので、「愛」と「感謝」について一日を振り返るものです。では、具体的にどうすればいいのかは、e-BOOK「宇宙となかよし」を読んで頂ければわかると思いますが、物語の巻末に、いくつかの「幸せ法則」をご紹介しており、その一つが「愛と感謝」の実践なのです。

 ただ、言葉だけだと抽象的なので、目に見える形でそれを確かめるために、「愛=与える」、「感謝=受け入れる」という図式でまとめています。「愛」とは何か?については、それこそ宗教や哲学の範疇で、いろんな定義がなされてきたと思いますが、それを「行動」のレベルに形にしたものが「与える」だと私は考えています。

 実はそのことを明確に教えて下さったのが、営業の神様‐加賀田晃先生だったのです。ただ、単純に与えるというのではなく、相手のハッピーにつながるように与えること。これが加賀田先生の言う「愛」でした。マザーテレサは「愛の反対は無関心」と言っていますが、無関心の反対は「関心」なので、すなわち「愛≒関心」ということができます。この「関心」も「与える」とは矛盾しません。

 これは私のセミナーでも常々言っていることですが、人間には根源的に2つの欲望があると考えます。一つが「安心・安全」です。食欲も睡眠欲も自分の身を守るため、安心・安全のために生じる欲です。性欲については、個よりも「種」における安心・安全を守ります。この辺りはまだ「人間」と言うよりも「動物」的な欲だと言えるでしょう。

 ですが、「関心」と言うのは、基本的に「人間」にのみ与えられた欲だと考えます。人から好かれたい、注目を浴びたい、なんてのは人間にしかない欲です。時として、大勢から注目されると、危険な場合だってあります。もちろん危険を避けるために注目を拒否する人もいるでしょうが、であるにも関わらず、危険を顧みず注目を集めたがる人だっています。その辺は動物的な「安心・安全」の欲ではなく、真に人間的な欲だと考えられます。

 これは一種の言葉遊びではあるのですが、「人」は「ひと・一」である段階では「個」に過ぎないのが、「人」と「人」の「間」が生じると、「個」を超えた「社会」になります。この段階で初めて「人間」と言えるわけで、「間」ってのは「関心」によって結ばれるわけなんです。「関心」とはまさしく「人間」的な欲だと言えます。

 そして「関心」を寄せることは、人間の欲を満たすことにつながり、すなわち相手をハッピーにすることになります。そして人に関心を寄せる人は、まず間違いなく、他の人からも関心を寄せられます。よく「他人に興味ない」なんてかっこつけて言う人いますが、そういう人は間違いなく他人から関心を寄せられません。どうでもいい存在になります。ですので、人から注目されたければ、まずは自分からです。それが「愛」なんですね。

 それじゃあ、「対人(対ひと)」でないと「愛」の行動にはならないのか、と言うと、決してそうではありません。例えば今日は宝満山の下山中、燃えないゴミ(土に帰らないゴミ)が落ちているのを見つけてしまい、それを拾って帰ったわけですが、ここには私以外の「人」がいないと思いがちです。しかし、ゴミを拾うことで、誰かがハッピーになると思えば、それは「愛」だと言えます。次に登ってくる人が気持ちよく通れることに関心を寄せながら拾うことは、つまり「愛」だと言えます。

 となると、ごみ拾いもトイレ掃除も、募金も挨拶も、それによって誰かがハッピーになるのであれば、それは「愛」です。つまり、「よい行い」とはほとんどが人をハッピーにすることにつながるため、すべては「愛の行動」と言ってもいいのです。

 一方、「感謝=受け入れる」とは、良いこともそうでないことも「受け入れる」ことを意味します。五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」では、「良いことがあったら『感謝します』」、「悪いことがあったら『ありがとう(有難う)』」と言うとよい、と言われますが、まさにそれ。何があっても「感謝」する、素直に受け入れることが大切。

 ここで「愛と感謝の日記」になりますが、私がお勧めしているのは、毎日、「何を与えたか」「何に感謝できたか」を振り返ってみるのです。例えばこんな質問です。

・今日一日、何を与えることができただろうか?(愛)
・今日一日、何に感謝することができただろか?(感謝)


 例えば今日の私であれば、

・宝満山のゴミを拾った(愛)
・久々に宝満山に登ることができた(感謝)

となりますが、「愛」はそれでいいとして、「感謝」は実は2通りあるとより良いと思います。つまり「良いこと」と「悪いこと」です。「良いこと」に感謝できるのはあたりまえ。普通の人がなかなかできないのは、「悪いこと」の感謝です。例えば昨年の8月は宝満山の下山中に雷に打たれましたが(感電)、それなんか普通は「悪いこと」です。しかし、それによって「執筆の時間ができた」「気づきを得た」「話のネタができた」などの感謝すべきこともあったので、そこで「すぐ」に感謝できるかが重要なのです。

 今日の私で言えば、「面白いテレビ番組がなかった」なんてのは、のんきではありますが、こんな時、「テレビ全然面白ない!」と不平不満を言う人もいるかもしれません。しかしここで「本を読む時間ができた」など感謝する人もいます。NLPでは「リフレーミング」なんて言ったりしますが、同じ「現象」であっても、良い面と悪い面が必ずあるのです。例え表向きは「悪い面」であったとしても、裏側には「良い面」があるかもしれません。と言うか、必ずあります。そのように「視点」を変えることができれば、どんなことでも「感謝」できるのです。

 ですので、一般に言う「悪いこと」とは正確に言えば「表向き悪いこと」であって、だったら裏側を見ればいいだけなのです。裏を見るか表を見るか、その選択肢は常に与えられており、どちらを見る方がハッピーなのか、考えずともすぐにわかるでしょう。そして人は「見ている面」しか見えないのです。そして「見えている面」こそが、その人にとっての「現実」であり「人生」なのです。

 ですので、「愛と感謝の日記」については、「愛」は一種類、「感謝」は裏と表の二種類があると考えていいでしょう。ただ、どっちも「表」の感謝に見えるのであれば、それはそれでいいです。私なんかも、もしかしたら会社員時代には「悪いこと」と思っていたようなことが、今では普通に感謝できることなっているか、そもそも「悪いこと」が見えにくくなっているので、いわゆる「悪いこと」を探すのが難しくなっています。それはそれでいいです。

 ところで、時々、質問されるのですが、もしも「悪いこと」が起こったとして、それに「ありがとう」と言ったら、「悪いこと=良いこと」と潜在意識が勘違いして、そればかり起こることはないですか?と聞かれます。具体的に言えばお金を落とした時、「ありがとう」と言ってしまえば、潜在意識の中で「お金を落とす=良いこと」と勝手に翻訳してしまい、次からお金を落としやすくなるとか。確かにそう考える人もいるかもしれません。ただ、これは「潜在意識」の根本的な理解が欠如した考え方です。

 「潜在意識」の根本は「安心・安全」を求めます。そこがわからない、と言う方は、私のセミナーに出るか、私の過去記事を読むか、私のコーチングを受けるかしてください。徹底的に腑に落としますので。それはともかく、「潜在意識」は「安心・安全」を求める以上、それに適ったことしか起こり得ません。例えば「お金を落とす」ことが、その人自身の「安心・安全」につながっているのであれば、次からも落とし続けるでしょう。しかし、そんな人はめったにないです。
 
 実は「お金を落とす」こと自体に、ある種の「肯定的意図」があります。それは「お金の大切さに気付く」とか「もっと重要なもの(額)を落とさず済むよう気合いが入った」など。その意図に気づく、つまり「感謝」することによって、お金を落とすことの「肯定的意図」が満たされる、それによって次から落とさなくなると考えた方がいいのです。

 この辺りはものすごく重要な考え方です。私はいわゆるスピリチュアルなことなんかを、理論的、現実的に解釈して、表現することが得意だし、その使命を持っていると自分で思っているのですが、その中でもかなりコアな領域になります。つまり「なぜ、感謝するとよいことが起こるのか?」という理解です。こう言う考え方に賛同したり、興味があるのであれば、ぜひ私のセミナーに一度は足を運んで欲しいと思います。100回読んでもわからないことが、一発で腑に落ちますので。

 ま、それはともかく、「愛と感謝の日記」なんですが、e-BOOKの中で、それを100日続ければいいと書かせてもらっています。まずは21日でもいいのですが、本当に習慣にするには100日くらいがいいです。じゃあ、それによってどんな習慣がつくかですが、「良いこと」をする(愛=与える)と、何でも感謝する(感謝=受け入れる)ことの習慣がつくのです。まずは「日記に付ける」ことが日課であれば、人は「日記に付ける」ことを考え始め、意識的にその行動に出るようになります。例えば道にゴミが落ちていたら、「愛=与える」だと反応し、普段なら見過ごしていたものを、しっかりと拾って捨てるようになります。電車で高齢の方がいらっしゃったら、すぐに譲るようになります。

 一方、感謝についても同様、どんなことがあっても「感謝」へと視点が向くようになります。例えば急いでいるのに、なぜか道路が渋滞。普段なら「遅い!何やってんねん!くそ~!」と言うところを、「あ、ここで感謝や」と意識が向くわけです。「渋滞にも意味がある、ありがとう」と言えばそれで一日の日記に付けられます。そもそも、何事にも「肯定的意図」があると考えれば、自分にとって不都合なことは起こりえないのです。

 と言うわけで、実を言うと、宝満山に登っている時、なんとなく「あなたも愛と感謝の日記をつけなさい」と聞こえた気がしたので、今日から付けることにします。実際、手帳に書いてたりもしたのですが、恥ずかしながらすぐ忘れるんですよね。ですが、ブログは習慣になっていますので、これから100日は毎日続けたいと思います。一番最後に書きますね。そしてこの100日の間に凄いことが起こりますので、私の言ってることが本当だと腑に落ちたらぜひ真似してください。そしてできれば、私のe-BOOKをブログでもミクシィでも口伝えでも、ご紹介頂ければ嬉しいです。それもまた「愛」ですから。ありがとうございました。

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愛と感謝:1日目】

<愛>
・宝満山で燃えないゴミを拾ってゴミ箱に捨てました。
・夕食後の食器をすすんで洗いました。
<感謝>
・天気がよく、久々に宝満山に登る事ができました。
・花粉症がほとんど出なくなりました(今年はあまり苦しくなかったです)
by katamich | 2009-03-26 23:36 | ■人生哲学
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