悟りへの道 2009.3.18

 う~ん、やっぱり沖縄から帰ってから、何かが変わったように思います。ほんまに「神の子」として生まれ変わったのか。ま、それはともかくとして、今日は19日(木)の福岡NLPセミナーの資料作りをしていました。テーマは「ラポール(その1)」です。この辺りはオーソドックスに行きそうですが、私のすることですので、どこか変わってたりして。「ラポール」は非常に大切なので、これから何回かにわけてすることになりそうです。とりあえずスキル的には「キャリブレーション」と「ペーシング」を取り上げましたが、それさえも全部終わるかわかりません。でもまあ、いいや。

 この福岡NLPセミナーでは、私独自の視点から「使えるNLP」を実践していくわけですが、正直、NLPとかどうでもいい、と言っては言い過ぎでしょうか。私にとってNLPは便利な道具なのです。どう考えてもNLPよりも私の方が偉いですから。こんなこと言うとすぐに「お前はバカだ」なんてコメントがついちゃうのですが、名詞化された「NLP」って、なんかよくわからないけどすごそうだ、みたいな錯覚を得やすいんですよね。でも、NLPを知れば知るほど、ある意味、人間の本質を表現するための便利な「ツール」としか思えなくなってしまうのです。ですので、とりあえずはセミナーなどではNLP的に人間の本質について語ったりするのですが、私のそもそもの基盤はNLPではなく、宇宙と人間なのです。その際、たまたまNLPってのがあって、ちょっと便利やん、と思ってセミナーで使っているだけ。

 ま、偉い偉くないで言えば、NLPを作ったバンドラーとかグリンダーなどは、ある面では私よりも偉いのでしょうが、NLPそのものが偉いわけではありません。NLPも使う人間次第。ま、そう言う視点で毎回変なセミナーをやるというわけですね。それも福岡限定で。関東でもやってくれ~なんて声を頂いたりしますが、あれは地元だからできるのです。あの値段(モニター価格)でやるには、ね。そう言う意味では、福岡とか近場の人はラッキーだと私から言ってしまいます(爆)。

 ところで、こんな偉そうなことを書いた後で言うのもなんですが、「久高島トーク(090316)」という音声がなぜか反応がいいです。今日だけで数名の人から感想メールを頂きました。いずれも「感動した」という内容です。ま、それもそのはずで、吹き込んでいる私自身がめっちゃ感動しながら吹き込んでいるわけですから。実はこの音声は私の「新境地」のようです。今までにない音声です。それはしゃべり方とかそんな表面的なものではなく、聞けばわかります。かと言って、聞いてください、とお願いするものでもありません。聞きたい人だけ聞けばいい。その代りに名前とアドレスは入力して頂きます。なぜ、そんなことをするのか。普通に流せばいいじゃん、と思われるかもしれませんが、とても大事にしているからそうするのです。粗末に扱うのが嫌だからそうしているのです。自分を粗末にしたくないのです。ということで。

 ところで昨日、いろいろとごちゃごちゃ書きましたが、私の言いたいことは一つ。悩め、ということです。ちょっと言い過ぎましたか。もっと正確に言うと、「悩み」を消そうと思わず、「悩み」に喜べ、ということ。結局、人間なんて悩むために存在しているようなものです。しかし、ただ単に悩むだけではダメ。悩みを消すのではなく、悩みを乗り越えるところに、人間としての存在意義があるのです。昨日の話を図化してみました。
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 昨日も書いたように、人間には「自我」があるから、悩みや苦しみがあるのです。お釈迦様が言ったように、人間は生まれながらに「苦」とともに生きているのです。もしも「自我」がなければ、悩むこともないでしょうが、それでは動物以下です。悩むから人間なんです。そして悩みを超えるところに人間の意義があるのです。ですから、よく言われるように、神様は越えられない悩みを与えることは決してありません。

 仮に今何かに悩んでいたとしても、それは必ず「越えられる」からあるのです。必ず。しかし、人間以下の「鉱物」「植物」「動物」にだって越えねばならない葛藤はあるのです。鉱物は「物質」を得ることによって、それが砕け散るのではという「葛藤」を得られます。そして鉱物はいつか砕けます。それが鉱物らしいあり方。水や気体は鉱物のように砕けることはありませんから。そのように鉱物らしいあり方を全うして、次の植物へと進みます。

 そして植物は「生命」を得られることによって、死を迎える「葛藤」が生じます。せっかく目が出て花が咲き、実を結んだのに、枯れてなくなる運命が待っています。しかし、それがある意味、植物らしいあり方。それを全うして次は動物へと進みます。

 動物は「感情」を得られます。植物は切られても痛がりませんが(それもまた植物の使命だから)、動物は切られたら痛がります。食肉になってもその念が残るとか言われます。しかし、その「感情」との「葛藤」を超えるところに動物らしさがあるのです。そしてようやく人間に至るのです。

 人間は「自我」を得ました。「自我」は悩みや苦しみを生み出します。もちろん動物にはない喜びもあります。しかしながら、再びお釈迦様が言うように、人間の本質は「苦」なのです。「苦」があるから人間なのです。ただし、その「苦」は越えるために存在しています。つまりは越えられない「苦」はないのです。しかし時として、越えようとしない自我もあります。するといつまでたっても「魂の成長」はなく、本来の人間らしさ、さらには「自分らしさ」に芽生えることはないのです。

 しかしもし、その根源的な「苦」を乗り越えることができればどうなるか。それが「さとり(悟り・覚り)」であり、人間として目指すべきあり方なのです。つまりは、「さとり」とは「自分らしさ」への目覚めということができます。よくハゲてる人が言います。「悟った」とか。若かりし日は、将来ハゲるんじゃないかとの「苦」を体験します。しかしハゲてしまえば、ハゲというアイデンティティに目覚めてしまえば、そこにあるのは「さとり」だけです。つまりハゲを受け入れ、それまた自分らしさへと昇華する。これが「さとり」なのです。じゃあ、ハゲてない人はどうすればいいのですか?なんて聞かないでくださいね。単なる例えですので。

 てなわけで、明日のNLPセミナーも楽しくいこうと思います。ちなみに「裏側」もめっちゃ更新していますので、見に行ってくださいね。ありがとうございました。

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by katamich | 2009-03-18 23:14 | ■精神世界